がらがら橋日記 稽古場

 

 実家の改修工事を始めるのが、初め4月からだったのが、5月、6月と一月ずつ遅れていき、7月になってようやく始まることになった。別にいつまでに引っ越さねばならぬという期限があるわけでなし、転校する家族もいないのでどうでもいいことなんだが、窓口で名前を呼ばれるのをただ待っているような中途半端な気分は、少しばかり気重りがした。

 実家は、落語教室の稽古場でもあるので、ずるずると工事開始が延びたことで、とりあえず代替稽古場をどうするかという差し迫った問題を先送りできたのだが、同時に先の中途半端の気分は増幅していった。

 よく稽古を見に来てくれる常連さんが見かねて、稽古ぐらいならうちを使ってもいいと言ってくれた。それはとてもとてもありがたい申し出で、一気に解決に向かったかのように思えたのだったが、どう考えても高齢者にとっては過重な負担である。せいぜい月に一度でも使わせてもらえたなら十分とすべきだろう。

 今日日のことゆえ、オンラインでならぬこともなかろう。工事が終わるまでは公演のみで稽古休止もやむなしか。いっそのこと家庭教師になって教室生宅に乗り込むか。などなど、どれも今ひとつ気乗りのしない案ばかりが浮かんでは消えた。

 ところが、ついこの間のことである。市内の某サービス付き高齢者向け住宅から落語会の依頼が入ったので、下見を兼ねて訪れた。仲介してくれた人の話によると、テレビか何かで塾生の落語を入所者がとても楽しそうに見ているので、それならいっそのことここで落語会開いたらという話になったそうだ。

 所長に施設を案内してもらいながら、実家の稽古場の様子を伝えたら、

「いいですねえ。うちもそんなふうに近所の人や学校帰りの子どもたちが気楽に寄って行くような場にしたいんですよ」

と、所長が勢いよく話し始めた。ここでぼくは、稽古場がもうすぐ使えなくなるので困っているのだ、ということをちょっとだけ言った。いや、ほとんど言わなかった。隠すつもりはなかったが、それでここに来たのか、と思われるのも違うからだ。いや、それほど大きく違わない。ちょっぴり小狡く立ち回った。

「じゃあ、落語会というより、もっと気楽な形で、ここで稽古させてもらえませんか。イベントとして集めるのじゃなくて、来たい人どうぞみたいに」

「ああ、それはうちとしてもうれしいです。ぜひ、お願いします」

 土俵際でするっと体が入れ替わったみたいに稽古場が現れた。