がらがら橋日記 堀川遊覧船 3

 耳を澄ませていたら、エンジン音が聞こえ、それが徐々に大きくなってきた。同時に、対岸から、

「来た。赤と青!」

と甲高い声が響く。声の主は、アシスタントを買って出てくれた対岸の小学三年生の女児である。お囃子を聞きつけて川岸に出てきたので、稽古がてらF子が小咄をいくつか聞かせたら、おもしろがって互いのことをあれこれ話すようになった。川を挟んでの日常会話は経験がないので、F子もぼくも高揚感があった。江戸時代もこんなふうにしゃべっていたのだろうか。いくら川の向こうとこちらで身分が異なったとしても、むしろその分だけ、会話を求める気持ちは強かっただろう。道を挟むよりも垣根が低い気がするのは、水の効能かもしれない。

 その子の報告の通り、赤と青が視認できたところでお囃子を流す。スピードが緩んだのを見計らって、F子は声高らかに小咄を語った。稽古を積んだ甲斐あって、申し分ない出来であったが、船の周囲の様子が何やらおかしい。まるで船頭とデッキで見守る私たちの戸惑いが川面をすべる船の周りに渦巻いているかのように。違和の正体はすぐにわかった。乗客は、たった一人。しかも外国人だったのである。後に、

「落語やってるから聞いてくれ、と説明しようとしたんですが、いかんせん私の英語力ではどうしようもなくて」

と、船頭は釈明したのだが、仮に彼が英語が堪能であったとしても、小咄の中身はおろか、なぜ民族衣装をまとった女の子が大声でしゃべっていたのか、船客にはさっぱり理解できなかったにちがいない。幾分身体をこわばらせて過ぎてゆくアメリカ人(これも後に聞いた)を私たちはあっけにとられて見送ったのだった。

 保護者も私も「最高のネタができた」「こんなおもしろい結末が待っていたなんて」と口々にはやし立てては笑ったものだから、F子も笑いながら、「ショックでした」と言った。

 二日後さらに一週間後と、後輩船頭と示し合わせてのそれとゲリラ落語とを重ねた。船の速度や船内の状況は、一艘一艘みなちがう。こちらが意図したとおりにはまず、いかない。それでも、そのジタバタをF子が楽しんでいるのと、うまくはまったときの船客や船頭の破顔一笑に救われる。

 船上の人たちは、その多くが松江を味わいに来た一度限りの観光客。突然降りかかってきた小咄を堀川ものがたりの栞として心に留めてくれたらうれしい。