がらがら橋日記 堀川遊覧船 1

 

 3月の終わりごろ、教室生の家から「花見に来ませんか」というお誘いがあった。松江名物の一つが国宝松江城をぐるっと囲んでいる堀川だが、その川に面してその家はあり、石垣で区切られた際にある山桜の古木が満開を迎えているというのだ。ぼくがおじゃましたときは散り始めで、風が吹くと裏庭を覆うように作られたウッドデッキや川面の上を白い花びらが惜しげも無く降り注ぎ、風下へと流れていた。

 今はもうないのだが、ぼくが通った小学校は北堀小学校といい、その名の通り堀川から百メートルばかり北に行ったところにあった。普通に考えたら、至近距離にある川だから、当時の小学生にとって格好の遊び場であるはずなのだが、景色としてあるばかりであまり接近することはなかった。理由は、汚かったからである。水彩絵の具の緑に黒を混ぜ、水で薄めることなく流し込んだような色と質感は、いかに無知の小学生といえど、川に手足を浸けてみる気など起こさせなかった。泥をさらうと貝が取れると聞きつけて、橋の欄干にランドセルを置いて、何度かドブ臭い川面に下りて掬ってみた。確かに異様に肥え太って黒光りしているカラスガイなどが取れたが、だれもが気味悪がって、そのまま放り投げてしまいになった。

 北堀小学校が閉校になって、ずっと北の新設校に移ってしまうと、すっかり堀川とも疎遠になってしまうのだが、皮肉にもその頃から浄化事業が始まって、ヘドロも浚渫され、堀川はきれいになっていった。そして四半世紀を経て、ついに遊覧船が運航されるに至る。運航が始まって30年近くになるが、もうすっかり松江観光のシンボルになっていて、大勢の観光客を毎日楽しませている。

 去年、学生時代のサークルの後輩が堀川遊覧船の船頭になった。教員を定年退職して、ぼく同様しばらくぶらぶらしているうちに船頭募集のポスターを目にしてその気になった。船舶免許を取得し、決して短くない研修を受け、四か月を経て晴れて船頭になったときようやく親しい者たちに連絡をよこしたが、最も想定外のセカンドライフに突入したというので、仲間内ではちょっとした騒ぎになった。

 さて、春の日差しと桜の花びらでまぶしい川面に向かってお茶など飲んでいると、目の前を堀川遊覧船がのんびりと通り過ぎていった。乗船客が興味深げにこちらを見ているので、「いい天気でよかったですね」と声をかけると「ええ、ほんとうに」と誰かが答え、乗客全員がにっこりと微笑んだ。まるで近所の会話だ。友人が船頭になったのも、落語教室生が堀川沿いに住んでいるのも何かの縁。思いついた。(この稿続く)