ニュース日記 921 世論調査を読む
30代フリーター 朝日新聞社が毎年、憲法記念日の前にしている世論調査(郵送)によると、今年は9条を「変えるほうがよい」が32%(昨年37%)、「変えないほうがよい」が61%(同55%)と、改正反対が1年前より6ポイントほど上昇している。
年金生活者 防衛費の大幅増額や敵基地攻撃能力の保有、自衛隊と米軍の一体化など武張った政策を進める岸田政権に対し「慣れない突っ張りをやっていると、そのうち痛い目に遭うぞ」と、国民が手綱を締めにかかった結果と考えられる。
30代 ただ、昨年の「変えるほうがよい」の37%は「2013年に郵送調査を始めて以降、同年に次ぐ2番目の高さ」(2023年5月2日朝日新聞デジタル)で、2014年から22年までは「変えるほうがよい」は30%前後で推移していた。だから、今年は元に戻っただけとも言える。
年金 ロシアのウクライナ侵略に危機感を募らせて「やっぱり9条は変えたほうがいいかもしれない」と思っていた国民が、時間がたって状況が見えてくるにつれ、むしろ軍備増強に前のめりになる岸田政権に危うさを感じるようになったと推察される。
憲法9条のうたう戦力の不保持がこれまで目に見えない「抑止力」として働いてきたと感じている国民の目には、岸田政権のしていることはその「抑止力」を削ぐものと映ったに違いない。「戦力を持たない」と宣言した国家は、日常生活にたとえると、赤ん坊のようなものだ。その無防備さが大多数の人びとを「この子を守ってやらなければ」という気持ちにさせる。ただし、ごくまれに危害を加える者もいるので、その接近を阻む備えが自衛隊と日米同盟にほかならない。
専門家ではない国民は、そうやって自らの日常の人間関係から類推して国際政治をとらえる。職場でも近隣でも親戚づき合いでも、すべての相手に100%心を許してしまえば、いつ足元をすくわれるかわからない危険がある。だからといって、いつも突っ張った態度をとっていては、周りがみな身構え、衝突の危険が増す。であれば「適度な無防備」こそ一番いい。それを原則に人づき合いをしているのが大多数の人びとだ。
30代 調査は、9条をめぐるふたつの代表的な意見をあげて、どの程度共感するか4択で尋ねている。それによると、「いまの9条があることで戦争をしないですんできた」という意見について「共感する」が「大いに」(21%)と「ある程度」(55%)を合わせて76%にのぼっている。
一方、「いまの9条では日本防衛に支障がある」との意見に対しては「共感する」が「大いに」(12%)、「ある程度」(47%)を合わせて59%だった。「あまり」「全く」を合わせて37%だった「共感しない」を上回っている。
世論にねじれがあるのではないか。
年金 当然だろう。9条さえあればあらゆる戦争、あらゆる侵略を防ぐことができるということなどあり得ない。自衛隊や日米同盟が万能でないのと同様だ。それでも、「日本防衛に支障がある」よりも「戦争をしないですんできた」が上回ったのは、両方のリスクを比較して判断した結果だろう。9条を変えれば、戦力の不保持による「安心供与」、すなわち目に見えない「抑止力」が失われ、リスクのほうが増大する、と国民は考えていると推察される。
30代 今回の調査ではソーシャルメディアについて初めてまとまった質問している。偽情報の選挙への影響を心配したり、他人への誹謗中傷を気にしたりする割合がいずれも8割を超え、規制が「必要だ」という回答が85%におよんでいる。
年金 その背後には、ソーシャルメディアのプラットフォームなどを提供している巨大IT企業の強大化に対する不安があると推定される。
ソーシャルメディアを含め、巨大IT企業がネット上に築いた通信、情報検索、決済などのプラットフォームは、それなしには個人の生活も企業の活動もほとんど成り立たないほどのインフラと化している。それは無料で提供されているように見えるが、その利用にともなってあらわになる個人の行動特性などの情報は広告に活用され、巨大IT企業の利益になっている。
プラットフォームの利用者は、ただで利用していると思いながら、実は企業にただ働きさせられている、とマルクス・ガブリエルは指摘し、それを「デジタル全体主義」と呼んで、国家による規制を主張している。しかし、巨大IT企業はすでに「もうひとつの国家」と化しており、政府が民間企業を規制するのと同じ手法がどこまで通用するか疑問だ。
既存の国家を規制している代表的な装置は憲法と議会だ。巨大IT企業に対して、それらに相当するものを築けるかどうかが問題になる。もしそれを実行に移すとすれば、その主体はプラットフォーム(インフラ)の利用者でなければならないはずだ。しかし、利用者はバラバラの存在で、大きなひとまとまりの力にはなっていない。だから、最初のうちは既存の国家が主体にならざるを得ないかもしれない。民主制に移行するのに絶対王政を経なければならなかったように。