がらがら橋日記 普通の民家

 

 東林寺「いきいき寄席」の前日と当日テレビの取材を受けた。最初、人伝に連絡を受けたときは、「風変わりな学習塾の取材をしている」という話だった。別に奇をてらっているわけではないので、大きなお世話だ、と思ったが、無料で宣伝してくれるようなものだからありがたく受けることにした。高尾小学校でも何度もテレビの取材があって、子どもたちがインタビューに答えるうちに、だんだんと力みが抜けてすらすらと受け答えするようになっていくのを見ている。これも場数なので、子どもたちにとってもいいことなんだと思う。

 子どもたちが来る前に教室を外から撮らせてくれと言って、カメラマンとディレクターが外に出て、何やらしゃべりながらカメラを回している。放映されたのを後で見たら、「この一見普通の民家が…」とナレーションが入っていて、それに合わせて実家が映っていた。変哲なんぞあるものか。たいていのことは、普通のところで起こっているじゃないか、と笑ってしまった。風変わりを強調せんがために、昭和の佇まいをだしにされて、両親もあの世で苦笑いしていることだろう。

 この実家、6月には骨組みだけ残して作り替えることになっているので、偶然ながら最後の姿を映像に残すことになった。ちょうどいいやと長く会っていない群馬の兄に映像ファイルを送ったら、なつかしがって、台所はどこになるのだ、あの便所はどうする、などあれこれ尋ねてきた。説明するいい機会になった。

 顔の前にテレビカメラを据えられ、あれこれ聞かれた。「どういう目的で始められたんですか?」「子どもたちにどんなふうになってほしいですか?」ほかにもたくさん。「そんなことわかりません」「あんまり考えたことありませんでした、ごめんなさい」と答えるべきなのに、どこかで正直な回答を自ら封じてしまっていて、ペラペラとしゃべってしまう。まあいつものことではあるのだが。

 先の問いに、ぼくはとっさに「自分のことをしゃべるのが大好きになってもらいたいですね」と答え、後からそれがとても気になってしまった。今までそんなふうに考えたことなどなかったからだ。これまでずっと考えてきたことと、言ってしまった言葉と関係があるのかないのか。口をついて出た言葉は、ぼくの考えに従順だったのか、それとも裏切ったのか、よくわからなくなってしまった。

 幸い、それはカットされていたのだけど、やっぱり今も気になったままだ。そして、案外悪くないかもという気がしてきている。