ニュース日記 918 リセットの思想

 

30代フリーター イスラエル軍がガザ南部から1旅団を除くすべての地上部隊を撤退させた、と報じられた(4月8日朝日新聞朝刊)。軍は「部隊の回復と今後の作戦準備のため」と言っているそうだが、非人道的な攻撃を非難する世界の世論におされて後退を余儀なくされているのではないか。

年金生活者 「ジェノサイド」を疑われるガザへの無差別的な攻撃に対しては、最大の味方であるアメリカも非難せざるを得なくなっている。ハマスを根絶やしにするというイスラエルの野望はほぼくじかれたと言っていい。

30代 なぜそんな野望を持つんだ。

年金 旧約聖書の創世記には、神が自分の創った世界をリセットするノアの箱舟の神話がある。地上に人が増え、悪が増したため、人を造ったことを後悔した神は大洪水を起こし、ノアの一家以外の人間を皆殺しにする。イスラエルのガザ攻撃はこのリセットの思想と重なる。

30代 旧約の神がしていることは、人間なら許されないことだ。

年金 リセットの思想が大量殺戮につながるからといって、それを全面否定することはできない。この思想はこれまで数々のイノベーションを引き起こし、文明を前に進めてきた。産業革命は既存技術の、民主制は独裁制のリセットによってもたらされた。

 つくったものを壊して新しいものをつくることができるという考えの根底には、神が創造した世界は神が壊すこともできるという旧約聖書の思想がある。それは現在も、つくり手を神から人間に代えて西洋の思想を貫いている。

30代 日本では新しいものをつるより、つくられたものを手直ししようという考えが支配的だ。産業の技術やシステム、政治の制度を見ても、つくられたものを輸入し、それを改良して使うのを得意とするとされてきた。多神教の世界では、ひとりの神が思うがままに何かをつくったり、壊したりはできない。

年金 リセットか、手直しか、どちらがいいかは決められない。リセットすれば、新しいものが生まれるが、その代償を一挙に支払わされる負担をともなう。手直しだと、その負担を分散できるが、出来合いのもののデメリットを一掃することはできない。

 おそらく人類史は、両方を世界に残すようにしながら進んできた。一方が他方の不足を補い、行き過ぎを抑えるというバランスがそれで保たれてきたと考えることができる。

30代 リセットの思想そのものは善とも悪とも言えない。

年金 それが戦争やテロに適用されたとき、無差別殺人の正当化につながる危険性を帯びる。9・11米同時多発テロで、アルカイダが旅客機をハイジャックし、まったく無関係の乗客を道連れにビルに突入したのは、その代表的な出来事と言える。イスラム教は旧約聖書を教典のひとつとしている。

 地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教は仏教系の教団でありながら、キリスト教のハルマゲドン(世界最終戦争)の到来を説いた。リセットの思想のテロへの適用をそこにも見ることができる。

30代 ところで、リセットされた世界は神の意志にかなうものになったのか。

年金 ノアの子孫たちの一部は有名になろうと、天まで届く塔の建設を始めた。神はそれが気に入らなかった。それまで彼らは同じ言葉を話していたが、神はそれをいろんな言葉に分け、互いに話が通じないようにした。同じ言葉を話すから、大それたことを企てるのだ、と。バベルの塔の神話だ。

 人間はなぜ神の意向に背くことをしてしまうのか。「人は神にかたどって造られた」(創世記)からだ。人間を大量殺戮するような神に似せてつくられた人間が、常に清く正しく生きていけるはずがない。

 旧約聖書のヨブ記は神が人間に残酷なことをする代表的なエピソードだ。何の罪もないヨブの信仰心を試そうとして、神はサタンを使って、ヨブの財産や肉親の命を奪ったり、ひどい皮膚病にかからせたりする。

30代 なぜそんな物語がつくられたんだ。

年金 創世記のノアの箱舟を含め、神の理不尽に見える仕打ちの数々は、避けがたい自然災害や、横行する犯罪、はびこる疫病を「神のすることなら仕方がない」と考えてしのぐための物語と考えることができる。

30代 それを人間のする戦争の正当化に使うのは許されない。

年金 神が世界をリセットしても、人間が神に背くことをやめないように、イスラエルが神の代理人であるかのように、ガザを無差別攻撃してリセットしたとしても、イスラエルの意にかなう状態が到来することはないだろう。

30代 同じように無差別攻撃を続けながら、ロシアはイスラエルのように味方から非難されることもなく、中国などと取引を続け、西側諸国による制裁で生じた空白を埋めている。

年金 そこから見えてくるのは、中国やグローバルサウスの台頭と西側諸国の後退という構図だ。世界の大きな変化は先進地域から起きるというのが歴史の常識なので、西側諸国がある程度の後退を免れないとしても、この先なお世界を主導していくと考えるのが妥当のように見える。だが、その先進地域の役割を、経済大国化した中国がやがて担うとすれば見方は変わってくる。