がらがら橋日記 いきいき寄席in東林寺
4月14日の「いきいき寄席」、無事に終わってひとまずほっとしている。目の前のことに追われてジタバタしているときにはさっぱり見えなかったのに、肩の力が抜けるとスッと俯瞰できるものだ。つい数カ月前まで、こんな落語会になろうとは、想像していなかった。
会の企画をしたのは、塾を実際に始めるよりずっと前のことだった。落語教室を開くことにはしたものの、教室生がそう簡単に来るとは思えず、落語会を開いてPRをしようと目論んだのが最初だ。招く落語家は、縁あってこれまで何度も無理を聞いてもらっている笑福亭喬若さんに頼んだ。2月4日に来てもらえないかとメールしたのが今からちょうど一年前の4月。すぐに返事が来て、「来年2月なんてほぼ何もありません。大丈夫ですよ」と快諾。
この時のイメージは、ほぼ喬若さんの独演会だった。落語教室生がいることが想像できなかったからだ。もしも、一人、二人教室生がいたら、その子たちが前座を務めて喬若さんにつなぐ。喬若さんは小学校のPTA会長として奮闘した人だから、「PTA会長やりましてん」という演題でしゃべってもらって、落語一、二席で会を閉じる。観客は小学校保護者を中心に働きかける。今思えば、塾の広報が目的とはいえ、かなりギラついていることがわかるのだが、どこの馬の骨ともわからぬ学習塾を認知してもらわねば、との焦りが短慮に走らせた。
秋になって、そろそろ会場をおさえておかなくてはと、予定していた施設に連絡したら、大学受験が入っていて「やあ、そのあたりダメですわ。うちみたいな値段でできるとこ?ほかに?ないでしょ」と八方ふさがりをあざ笑うような返事だった。こういう場合は、不思議とどこかにいい出合いがあるような予感がしてくるもので、案の定誰彼構わず聞いているうちに、保護者のつてで今回の東林寺に行き着いた。時期も4月に延ばせた。捨てる神あれば拾う神あり、だ。
落語教室生9名のうちの7名が出演。喬若さんは、子どもたちを立てるために自ら前座に回ってアシストに徹した。PTAの話もまったくなし。お客様は、幼児からお年寄りまでまさに老若男女の百名。「落語はお寺が発祥とも言われております」と喬若さんがマクラで語ったように、金色のご本尊をバックにぴったり高座がはまって、保護者の誰もが「最高の舞台」と喜んだ。
初期の構想は、あれこれ突き動かされてすっかり姿を変えた。貧相な構想なんぞ蹴散らされてなんぼだよ、と高座の後ろで仏様が笑われたような。