ニュース日記 917 解体の時代
30代フリーター NHKに「解体キングダム」という番組がある。百貨店、駅、寺院などの解体現場に密着するドキュメンタリーで、「解体の時代」を暗示しているような番組だ。
年金生活者 現在の資本主義が利潤の主要な源泉としているイノベーションは解体で成り立っている。産業のインフラとなったインターネットからしてそうだ。吉本隆明は「個人と大企業とか、個人と国家とか、これまでは違う次元にあると見なされていたものを連結するのがインターネットだ」と指摘した(『超「20世紀論」下』)。インターネットは次元の壁を解体した。
イノベーションの成否は、どれだけ異質のもの、異次元のものを結合できるかにかかっている。そのためには差異の壁、次元の壁を解体しなければならない。生成AIは機械と感情の壁の解体に向かっている。技術が人体内に埋め込まれ、両者の壁がなくなる未来も予測されている。
グローバリゼーションは国境の壁を半壊状態にし、単一の国家では市場を制御できなくなった。少子高齢化は既存の社会保障制度の解体を迫っている。
30代 これまで大規模な解体は戦争によって引き起こされた。
年金 第1次世界大戦は前近代の帝国を、第2次大戦は英国の覇権を、東西冷戦は東側陣営を解体した。ソ連の崩壊と、それ以前から進んでいた中国の資本主義化は世界経済をグローバル化し、デフレを定着させた。それが次元の壁を解体するイノベーションを駆動し、富の稀少性の縮減を加速した。
東西冷戦の終結は、日本では社会党の解体につながった。細川連立政権で初めて与党を経験し、自社さ政権で首相を出したこの党は、社民党と名を変えたあと弱小政党に転落した。大半の国会議員が新党の民主党に移ったためで、後の民主党政権の成立は社会党の解体の完了を意味した。
ソ連の崩壊が左右の体制の壁を壊したように、社会党の解体は永田町における左右のイデオロギーの壁を崩した。しかし、それは右側の体制およびイデオロギーの安泰を意味せず、逆にそれを不安定化させた。冷戦に勝利したアメリカはアフガニスタンとイラクでの戦争の泥沼化と、中国の経済的、軍事的な台頭で覇権の後退を余儀なくされた。
日本の自民党は、社会党の解体によって安泰になったわけではなく、逆に政権の座を追われるはめになった。安倍晋三の政権になってからは「1強多弱」と言われるほど安定与党に戻ったが、いま「1強」ゆえの油断とおごりが裏金の広がりとその暴露を許し、内閣支持率の低迷と党支持率の低下に苦しんでいる。
30代 性や個人のレベルでも解体は進行している。2023年の婚姻数は戦後初めて50万組を割り、人口が今の半分だった90年前と同じ水準に減少した。他方で、同性婚を法律で認めるべきだとする考えは、去年の朝日新聞の世論調査で72%に達している。電通による意識調査(2023年)では、「職場や学校などの仲間からLGBTQ+などの性的マイノリティーであることをカミングアウトされたときは、ありのまま受け入れたいと思う」と回答した人は、非当事者層の84・6%にのぼった。
年金 変化の背景として、資本主義の高度化が加速する富の稀少性の縮減を考えないわけにはいかない。個人消費に占める選択的消費の割合が必需的消費と肩を並べるまでに拡大した結果、人びとの自由の意識も広がり、性をめぐる既存の社会通念、吉本隆明の言葉を借りれば「対幻想」に対するこれまでの拘束を解体し始めた。
また「個人幻想」のレベルでの解体の例をあげるなら、たとえば、高度経済成長の時代には、お前は何者だ?と問われれば、○○株式会社の☓☓と答えるに違いない勤め人がいっぱいいた。自分と会社を同一視することにためらいがなかった。今はそうではない。終身雇用制が崩れ、転職がありふれたことになり、会社は自分のアイデンティティーを保証するものではなくなった。それで「自分探し」という言葉が生まれたりもした。
社会の物差しではなく、自分の物差しで物事を判断せざるを得ない時代になりつつあると言っていい。モノやサービスが豊富になったぶん、フィジカルな負傷を回避しやすくなった代わりに、メンタルな傷を負いやすい時代になったとも言える。勤め人なら、かつては会社に帰属していること自体がメンタルなダメージを防御する壁になり得た。今その壁はなくなるか、薄くなるかしている。
30代 これから「個人」はどこへ向かうのか。
年金 終身雇用制が崩れると、「ひとり1人格」の原則も崩れる。ひとりの個人がいくつもの人格を持たざるを得なくなった。あるときはこの仕事をし、あるときは別の仕事をする。あるときは家族の一員であり、あるときは趣味の同好会のメンバーであり、といったぐあいに、時と場所に応じて人格が入れ替わる生き方を強いられるようになった。
平野啓一郎が個人の持つ複数の人格を「分人」と呼び、「個人」に代わる新しい人間のモデルとして提唱したら、「気が楽になった」という声が寄せられたのも、「個人」の解体の進行を裏づけている。