空き家 7 これからの家⑤
広い敷地に建っていた大きな平屋のお屋敷が崩されて1年。その跡地にはすでに2軒の家が建ち、さらに2軒分が建つだろう場所にブルーシートが敷かれている。近所で更地になったところにも平屋の木造の家がもうすぐ出来上がる。夫の従弟のHの家は、土地ごと買い取ってもらったのだろうか、新しい家が完成した。どういう人が入られるのだろう。
家に関心が向いたせいか、この1年ほどの間に、多くの家が壊され、新たに建つ様子を見てきた。ほとんどの家は建つまでの工程が短く、少し通らずにいた場所を歩いたら、更地だったところに突然家が出現しているということもある。
形あるものはいずれ消えてしまう。家も人も。けれども、命は連綿と繋がっていく。その命を育んでいくのが家だ。家は人として生き、暮らしを構築していく基地。場所が変わろうが、借りの住まいであろうが、生活していく場としての拠り所であることには違いない。そこは固定したものではない。子や孫のいる近くに移り住むのもよし、新天地を求めて行くのもよし。モンゴルのゲルのような家はいいなと思う。違う土地に行って、組み立ててそこに住み、また違う土地に行き。今建築中の建物を見ると、基礎は別として、ブロックを組み立てるような工法でやっているのを見かける。将来的にはゲルのように転々と場所を変えて住む家が出来はしないだろうかと夢想してしまう。
リフォームする家もよく見かける。耐久年数がまだ大分残っている家は、新しい住人を迎えて新たな家族の生活がスタートする。今住んでいる家は子育てを終え、姑を送り、私たちの務めはほぼ終わった。耐久年数がどれだけ残っているか分からないが、私たちの最期が近づけば、リフォームして新たな住人の生活空間になってくれたら幸いに思う。
そして、我が生家。先月ジャガイモの種芋を植え、今は春野菜を植える準備中だ。今年も畑は細々とやるつもりでいる。ここは、畑作業を辞める決心がついた時点で処分を決める。古民家として使ってもらえれば最高だが、耐久年数あと30年では無理か。墓はそれより早くに処分するつもりだ。立つ鳥跡を濁さず。後の始末だけはしておこう。
(終わり)