空き家 7 これからの家②

 

 最近点訳した本にはたくさんの詩人や作家、画家が登場した。締めくくりに取り上げられたのがアメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイだ。第一次大戦ではイタリアで従軍し、戦後はカナダでフリーの記者になり、特派員としてパリに移る。その後も世界各地に行き、それらの体験を元に多くの作品を生み出している。亡くなったのは出身地から離れたケチャムというところ。「おっ」と声が出たのはポール・ゴーギャン。高校生にして初めて一冊を最後まで読み切った記念すべき本がサマセット・モームの「月と六ペンス」。その小説の主人公のモデルとなっている画家だ。ゴーギャンは安定した仕事も家族も捨て、絵を描くために故郷を離れ、二度目のタヒチ滞在中に最期を迎えている。詩人、作家、画家などの芸術家と言われる人たちは、夢を追い、そのために彷徨い、一か所に定まることができないのかもしれない。私のような凡人は、ある意味、夢を諦め、現実と向き合ってきたとも言える。安定した生活のために仕事を得、家庭を持つと、家族が健やかに暮らせるようにと家を建て、日々過ごしてきた。家はその基地なるものだ。目的を果たすと、家の役目は終わるのか。

 長男と二男が同級で家族ぐるみで親しくしていたKさん。転勤族のため、数年で岡山に引っ越して行かれた。3年前、Kさんからのハガキに、広島で定年を迎え、娘や息子たち家族が住む岡山でアパートを借りて夫婦で住むことにしたと書かれていた。娘の同級生のご両親にも、似たようなご夫婦がいる。息子一家は松江にいるけれども、娘さん一家をいる広島へ行かれたのだ。いずれも、自分たちが生まれ育った故郷から離れ、自分たちで建てた家からも離れて老後を過ごすというものだ。仕事と子育てという大役を終えた家に未練はなく、この先、子や孫の近くでのんびりと余生を過ごそうというのだろう。

 夫の友人で、埼玉から帰る度に夫と飲みに出かけたり、家で飲んだりするTが言った。「3人この家で育てたんだろう。それで十分だよ」。そのTの言葉に、子どもを授かってからというもの、我が子の成長が自分の夢、希望になっていたのだなと気づかされた。3人が巣立ったこの家は、その夢を叶えてくれた場所なのだ。