がらがら橋日記 湯治宿にて

 

 日常の澱が少しずつたまって、その重さが気になり始めると、私たち夫婦の場合、温泉に行こうかという話になる。市内の温泉に入湯料だけ払って浸かりに行くのがほとんどで、それで十分効果は得られるのだが、たまにちょっとだけ遠出をしたくなる。

 久しく出かけてなかったのと、妻の肩こりがひどくなったのとで、そのたまの方へ出かける気になった。前から気になっていた温泉旅館を調べたら、空いている上に閑散期でけっこうな値引きをしていたので、これ幸いという気になってしまった。

 築百年弱の木造建築に足を踏み入れただけで、スッと心静まるのを感じたが、部屋に通されると、窓いっぱいに清流の水面が広がっていて、堰を流れ落ちて白く帯のように泡立つ一帯から水音が激しく響いているのを前にしたら、さらに静かな気持ちになった。

 おもしろいもので、テレビのリモコンとか、念のためにと持ってきていた機器のスイッチとか、遠ざけようと努めるまでもなく、勝手に向こうで消えてくれた。視覚と聴覚を水の流れにあらかたもっていかれて、いらぬことを考える余地がなくなったのだろう。

 出立前に、どれか一冊文庫本を持って行こうと思った。真っ先に浮かんだのが中島敦だった。少し前に近所のスーパーの古書売り場で見つけたのだった。ふだん見ることなどまずない棚なのに、たまたまわけもなく眺めていたら岩波文庫の緑帯が見えた。それだけでも珍しいのに、まっさらの中島敦だったのでちょっと驚いて、箱に小銭を入れて持ち帰ることにした。本の方で待ってくれていたような気がした。

 旅館が創業したころに書かれた小説を読むというのに興が湧いたのかもしれないが、縁側から水面を見下ろして本を開いたら、すぐさま入り込めた。『山月記』は、高校の教科書に載っていたのに始まり、これまで何度、何十度読んできたかわからない。何が書いてあるのかたいていわかっているつもりなのに、ある一節に初めて心が止まった。これまで読む度にただ通り過ぎていただけだったのだ。

「分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」

 確かにそうだと思った。この身体も頭も心も、生まれ落ちた場所も時代も、みんな押し付けられたもので、そこから逃れることはできないという意味で、すべての生きものは等しい。

 露天風呂の塀で幾何学的に切り取られた空は真っ青だった。湯に浸かりながら透き通った青空を眺めていると、押し付けられた者の極楽と思えてきた。

温泉宿の部屋から川を見る