空き家 6 墓④

 

「今が一番いい時だね」。仕事と子育てとで、毎日が目まぐるしく、余裕も何もない時間を過ごしている頃によく言われた。(何が一番いい時だよ、身体も心もへとへとなのに)などと、その時は心の中で反発していた。

 土曜日は子守りに玉湯に行ったり、娘たちが子どもたちを連れて我が家に来たりする。玉湯に行った時の娘の様子を見ていると、自分の仕事に行く準備をしながら子どもたちの世話をし、あれこれ指示をとばし、バタバタし通しだ。その姿を見て、かつての自分に向けられたあの言葉を思い起こす。一番大事なのは子どもを一人前に育てること。そのために仕事をし、その仕事ではあれこれの課題に取り組んでいく。心身ともに疲れ、余裕はなくなるかもしれないけれど、未来の目指すところに向かっている。子どもの成長過程にはさまざまな問題が次々やってくるし、健康面での心配はつきものだ。そんな中で日々の成長を感じ、喜びを味わうことが多々ある。仕事では失敗もあるかもしれないけど、目の前の課題を解決した時の達成感には高揚し、出会った人との心の触れ合いに満たされた思いになる。そういう前向きに生きている時がすばらしいのだと思う。

 「今が一番いい時だね」の言葉を掛けてきた人たちは、子どもたちに手がかからなくなり、年寄りの世話や、自分の衰えていく身体と向き合い、老後をどうするかといういわば坂を下りつつある境遇にあったのかもしれない。自分がそういう立場になり、ようやくその意味が分かるようになった。私の場合、介護を終えると一気に坂を駆け下りていったような気がする。時間というよりは気持ちの上で大部分を占めていた介護がぽっこり抜けてしまうと、身も心も空洞化したような状況に陥り、人生の終焉を間近に感じるようになった。つまり、私の未来は自分の命の終わりになってしまったのだ。

 最近良く言われる終活。家のことも墓のことも考えねばならない。ただ、そういうことばかり考えていると、トンネルの中に入りこんでしまった気になることがある。残された日々が限られているならなおさら、少しでも明るい気持ちになる毎日を過ごしたいのだが。