がらがら橋日記 レジリエンス

 

 このごろよく見聞きするようになった言葉の一つに「レジリエンス」がある。回復力とか復元力などと訳されるが、困難な状況に直面したとき、そこから立ち直ったり、うまく対応したりする力を指す。高い、低いという形容詞がひっついていることが多く、高めるためにはうんぬんかんぬん、と語られているのを目にするが、それだけ見ると根性とか、胆力みたいなイメージに引き寄せられてしまい、少々のことには動じないような人間がレジリエンスが高いってことか、と思ってしまう。

 ところが、近年ずいぶんと解釈が変わってきているそうで、最近読んだ本では、「困難な状況で必要なものを得る交渉力」とあった。要するに、「困った困った」を言う先がある、あるいは言えることがレジリエンスなのだ。これだとわかる。「困った」を伝えやすく、具体的な助言やサービスを得る手段がいくつもある人や社会はレジリエンスが高い人、社会と言える。

 古くからの友人が電話をしてきた。家族がこの歳でバラバラになることになった。自分に非があるので謝罪の意味もこめて精一杯のことをするつもりだ。ただ、これから一人で老後を送るのは寂しくてしかたがないから協力しろ、というものだった。ところが、結局は、彼が示した精一杯が再び家族を結びつけた。後日再度電話があって「騒いですまなかった、お詫びに一席持つ」と言った。ほっとして、二人で笑った。人騒がせな話ではあったが、ぼくはすっかり友人に感心した。世間体とかプライドを気にして、隠す、閉じこもる、我が身の中だけでクヨクヨと考えるという方向に行ったなら、この結果は得られなかっただろう。家族にも友人へもまずは交渉力を駆使することから始めたのが奏功した。レジリエンスの高い男である。

 彼とは困難の種類が違うが、「困った、困った」に伴う経験をぼくも今している最中だ。小学一年生の落語教室生が話すにふさわしく、登場人物にも共感しやすいネタというのは古典落語中数少ない。遠からず尽きてしまうのは見えているので、絵本や児童文学からアレンジしようと考えた。しかし、手当たり次第に読むのでは、大海に針をすくうがごとくで埒があかない。そこで図書館司書さんたちに「困っています」と言って、いくつかの条件を伝えて選書してもらった。届いた候補作を読んでみると、面白いことに、外国の絵本や児童文学にもそのまま落語だと思えるものがいくつもあった。そうか、練り上げられたショートストーリー同士、親戚なのだ。そんなの当たり前、何を今さらという話なんだろうけど、ぼくはそれに気づいてうんと得した気分になった。言ってみるものだ。