空き家 6 墓②

 

 実家の元屋敷跡にある墓が現在のような寄墓になったのは、母が亡くなって半年後のことだ。それまでは、墓地にいくつもの墓石が建っていた。中には丸い石だけが置かれたものもあり、土の下にどういう人が眠っているのかは分からない。その一つ一つに花ノ木を立て、線香を供えていくのは大変だった。

 家を守るため、昼夜なく働いて借金返済をし、命を縮めた母。その母が生前「墓を何とかしたいね」と言っていた。母が掛けていた生命保険がおり、それで借金を払い終わった後、残ったお金で墓を寄墓にすることを決めたのは、家を守り通した母が、祖先が眠る墓を何とかしたいという思いを叶えたかったからだ。

 父方の伯父に紹介してもらった石屋さんにお願いし、大型連休に入る前に寄墓作りに取り掛かってもらった。その作業中のこと、石屋さんが言われた二つのことが今も忘れられない。一つは、10年以上も経つのに、祖母の遺骸がまだ白骨化していなかったこと。どうもビニールに包まれたままだったようだ。焼いて骨にしてくださったとのことで、その難儀な作業を思うと申し訳ない気持ちで一杯だった。もう一つは、「ご先祖さんに、お産で亡くなられた方がいますね。周りの土が赤くなっていましたわ」という話。確か、祖母の妹が産後の肥立ちが悪くて亡くなったと聞いたことがある。土に埋められても出血をし続けていたということか。土が最期の様子を証明するとは驚きだ。

 祖母が亡くなった時までが土葬だった。その頃は、棺桶の言葉通り、風呂桶のような形の桶に膝を抱えて座った姿勢のまま亡き人を納めた。だから、墓堀に当たった人はかなり深く土を掘らねばならず、重労働だったと思う。そして、埋葬して時が経つと、地面がぼこっとへこむ。棺桶が朽ちて崩れるからだ。土葬の頃にはそういうことがあるから、火の玉なども含め、おどろおどろしい話が生まれたのかもしれない。

 母が亡くなって当分の間は、家も墓も自分が守っていくのだという強い思いがあった。