空き家 6 墓①

 

 家のことを考える上で、切り離せないのが墓だ。松江の墓は公園墓地に、実家の墓は歩いてすぐの元屋敷跡にある。父の実家の墓も家の敷地続きのところに建っている。田舎の墓は、結構家の近くに建っていることが多い。

 年の初めから墓のことを書くのは気が引けるが、年末に読んだ新聞に昨年度の墓じまい件数がこれまでの最高だったとあり、心の奥にくすぶっている思いが沸き出て来た。

 墓の管理は大変だ。お盆前には汗にまみれ、蚊に刺されながら草取りをしたり墓石を磨いたり。うちは、盆や彼岸になると、松江の公園墓地に参ってから、出雲に向かう。出雲でお参りするのは四箇所だ。元屋敷跡にある実家の墓に参り、次に1キロ離れた父の里へ。家の近くの小高い砂の丘まで歩いて上がり、線香を供える。伯父の墓は曹洞宗の寺、伯母の墓は浄土真宗の寺と、全く違った方向にある寺の墓地にある。伯父の墓は、祖父である杉山家の墓標、祖父亡き後、母子ごっそり戻った元の姓である藤江家の墓標と二対並んで建っている。だから、花ノ木は計4束挿すことになる。伯母の墓は、伯母亡き後に、弟である伯父が建てた。墓の側に竹藪があり、ある時は墓石の横に3メートルくらいの竹が伸びていた。草がびっしり生える時、枯草に覆われる時、いずれも掃除が大変だ。伯父夫婦、伯母夫婦ともすでに他界し、子どもたちは遠方に居を構えていて、めったに帰ってこない。だから、1時間あまりかかるとはいえ、地元に居る私が夫と参るしかないのだ。

 遠方に居て墓参りが困難な人が増えているし、子や孫の代になると、墓に入っている人を知らない人が多くなる。そうなると、墓は忘れられ、墓じまいがどんどん増えていく。これからは墓を建てることさえ少なくなっていくだろう。実際我が家でも、子どもたちは親に付いて来なくなってからほとんど墓参りをしていない。自分たちが居なくなったら、伯父や伯母の墓と同じように、実家の墓の掃除をしたり、お参りをしたりする者が居なくなる。そう考えると、家と共に墓も足腰の立つうちに方を付けねばならないと思うのだ。