空き家 5 生家の行く末⑧
元日から仕事だという長男が、年末に自家用車で九時間かけて御殿場から帰って来た。短い滞在の間、あれこれ聞いた中で、学生時代のサークル仲間とやっている妙な年越し行事について、「今年はしなかったんだね」と尋ねた。「もうやったよ。今年はタコ焼き」とのこと。サークル仲間の誰かの家に集まり、毎年何かしらの食べ物を煩悩の数である百八つ皆で平らげて年越しするのだ。「タコ焼き百八個じゃないよ、百八舟だよ。無理だったわ」。ミカンに豆腐、ハンバーガーなど、毎年品を替えてやっている。ある年は、仲間の実家の風呂をきれいに洗い、そこでフルーチェを百八箱分作って食べたとのこと。今年で18回だというが、いい年になった者たち、いつまで続けることだろう。
10年以上前になると思うが、その行事をするのに、「出雲の家に集まっていい?」と長男が連絡してきたことがあった。「大騒ぎして近所迷惑にならないようにすればいいよ」と返事して、布団を揃えたり、グラスを洗ったり、出雲市駅まで車でピストン送迎をする計画を立てたりしてその日を待った。ところが、土壇場になって仲間のうち二人がインフルエンザに罹り、計画は没になってしまった。
空き家でも、そこに建っていれば、あれこれ利用価値はある。近所の家のリフォームの際、家具を置かせてくれと頼まれたこともあるし、孫たちを海に連れて行く際は海の家にもなる。ただ、心配なのは、私たちがこの世から消えた後のこと。子どもたちに面倒をかけたくはない。だから、元気でいるうちに何とかしなくてはとあれこれ考えているのだが…。
今年も、年末に掃除をし、鏡餅を供えた。まだ畑仕事をしているうちは、どうしてもこの家が必要だ。少しずつ耕作面積を狭め、機械を使っての耕作は辞めた。今のところ、畑仕事を辞める時が潮時だと考えている。農作業をするのに身体が思うように動かなくなったら、畑仕事は終わりにし、生家の後始末にかかろうと思っている。その時が来るまで、家の維持は続けていくことにしよう。