がらがら橋日記 これぞ百景
年々テレビの視聴時間が減っているのだが、それでも長いこと、NHKのニュースはなぜか見ておかないといけない気がして、その時間だけはリモコンのボタンを押すことが習慣化していた。でも、それも途絶えた。世界で何が起きているのか見ておかないといけない、悲惨だからと避けてはいけない、と何があっても見ていたのに、精神に変調を来しそうで耐えられなくなってしまった。ある種の耐性が衰えたらしい。ただ、代わりに新聞を以前よりもよく読むようになったので、情報量に変化はない。新聞を自分のペースで読む方が情報収集の方法としてうんと負担が少ないことに気づいた。
バラエティ番組も、ついていれば見ないではないのだが、ちょっとでもあざとさを感じるとそそくさとテレビの前から退散する。残念なことに、テレビのそれは増す一方のように思える。これも、ぼくの方が変わってしまったのかもしれないが。
昨秋だったか、高尾小学校のこども落語が民放のバラエティ番組に取り上げられた。全国放送の長寿番組で、ずっと以前に何度か見たことがある。学校から連絡をもらってワクワクして見た。こういう場合はあざとさに対する不寛容も吹っ飛んでしまう。子どもたち、学校職員、地域の人々、みんな誇らしい気持ちで見たことだろうと思った。
が、最近になって、撮影時の様子を伝え聞いた。ずいぶん長時間の取材だったらしいが、そのうち撮影クルーが子どもたちにあれこれと要求するようになった。細かいことまではわからないが、ポーズとか言い回しとかに注文を付けたらしい。より番組を盛り上げるために、という思いだったのだろうが、子どもたちにとってはそれが苦痛だった。べそをかく低学年の子もいたようだ。たまりかねた高学年の子がクルーたちにきっぱりと言った。「ぼくたちは、そんなことを言われたくもないし、したくもない。」
これまでたくさんの取材を受けてきているので、高学年ともなれば多くのメディア関係者と接しているから、人を見る目も育っているのだ。これを教えてくれた人の言葉がとてもよかった。「私たちはこういうこどもを育てるために落語をしてきたのかもしれないね。」許容範囲を超えたあざとさにはっきりと否を伝えた子がいたことを、その番組では一切触れていない。これははたして当たり前だろうか。