空き家 5 生家の行く末⑦

 

 一旦減っていた実家を開けに行く頻度が増えたのは、退職して畑仕事をするようになってからだ。暑い時季は週2度(間で水やりに畑にだけ行くことも)、作業の少ない寒い時季は週1回とか2週に1回とか。着替えをするし、トイレも使う。テレビを見ながら弁当を食べる。採れた作物を洗うなどの処理、豆類やオクラの種の乾燥、農具を置くなど、維持するだけの家ではなく、農作業をするのになくてはならない存在として甦った。

 畑仕事は今年が17年目。4月の大根の種蒔きに始まり、連休頃からオクラの種蒔きとウリ類、ナス、ピーマンなどの夏野菜の苗植え、9月になると種から育てたキャベツ、白菜、ブロッコリーの苗植えと大根の種蒔き、11月はエンドウ豆蒔き、年を越して3月にジャガイモ植えと、毎年繰り返してきた。その間に、ピーナッツや小麦に大麦、黒千石大豆なども育てたことがある。大麦は麦茶に、小麦は石臼で挽いてパンに混ぜたことも。自家製の麦茶は、色は薄いが香は最高だった。ニンニク、ラッキョウをお隣さんからいただき、それは何年も育ち続けているし、エビスグサは毎年畑のどこかで芽を出し、秋に鞘にぎっしり並んだケツメイシを採り、炒ってハブ茶として毎日飲用している。

 畑仕事は大半が草との闘いだ。初めの頃手こずっていたのはカヤやスギナだった。それが、カヤツリグサになり、ここ数年の天敵はワルナスビだ。これにはほとほと手を焼いている。何せ、切ったところから脇芽がどんどん広がる。根はどこまでも伸び、土を掘ると幾筋もの根が下に向かい、引き抜こうものならぷつんと折れてしまう。こちらも、年々歳を取り、草との闘いに疲れてきた。「もう、この範囲だけで作るか」「植えんところには除草剤を撒くか」などと夫と話し、耕作面積を少なめてきている。

 そして、決めた。手で起こせるだけの範囲を耕し、管理機を手放すことに。先日電話で購入した先に引き取ってもらうよう連絡すると、「2010年に買っておられますね」と先方。そうか、もう13年になるのか。よく働いてくれたものだ。