ニュース日記 905 理念の威力

 

30代フリーター 裏金疑惑で岸田政権が退陣したとしても、野党がそれに取って代わるという予測はさすがに聞かない。

年金生活者 自民党が下野する可能性が出てくるとすれば、党が分裂し、その一方と野党が組んだときくらいだ。日本国民はこれまで、自民党あるいは自民党的なものを排除した政権を選択したことはない。

 自民党が結党以来初めて下野した1993年の細川連立政権の成立は、党を割って出た小沢一郎の率いる新党の新生党が軸となった。2009年の総選挙で旧民主党が過半数を制して実現した政権交代も、その小沢が立役者だった。

 それほど自民党は日本国民の間に根をおろした基軸政党であり、日本人にとって政治上の「実家」のような存在であり続けている。

30代 55年体制下の社会党は、頭の古い親に反抗して実家を飛び出した子供みたいなものか。

年金 西欧の左翼思想をソ連経由で輸入し、自分たち向けに加工した社会党のイデオロギーは日本に根を持たないために、国民はそれを本気で信じることはなかった。ただ、自民党はときおりカネにまつわるスキャンダルを引き起こすので、それにお灸をすえるために、票を移動する先として社会党を選んだ。

 自民党の保守イデオロギーは、左翼思想のように開明的ではなかったが、日本人の伝統的なメンタリティーに根ざしていた。社会党が国民に対して啓蒙的な態度、悪く言えば上から目線で臨みがちだったのに対し、自民党は国民の心情とできるだけシンクロナイズしようとした。

 したがって、日本国民にとって、自民党あるいは自民党的なものを排除した政権を選択することは、自らのルーツを断ち切ること、歴史に根ざしたアイデンティティーを失うことと重なって感じられると推察される。

 このことは逆に言うと、自民党的なものを取り込んだ野党は強いということだ。旧民主党がそうだった。

30代 結局どう転んでも、野党は自民党頼みということか。

年金 弱小政党であっても、確固とした理念があれば、大政党もできないことを実行できる。それを示したのが、スポーツ平和党をつくったアントニオ猪木だ。「スポーツを通じた国際平和」を掲げた彼は1990年、クウェートに侵攻したイラクが日本人41人を人質に取ったとき、バクダッドで「スポーツと平和の祭典」を開催した。それが人質の解放につながった。また北朝鮮には30回以上も出向き、スポーツイベントの開催や政府高官との交流を通じて拉致被害者の救出に向けて尽力した。いずれも政府や国会が難色を示したにもかかわらず、彼はやり遂げた。

 ロシアとウクライナ、イスラエルとハマスの戦争が続き、中国が軍事的な膨張を止めない現在、「平和」を理念に掲げるのはもはやリアリティーがないように見えるかもしれない。だが、かつて「今の政治がダメなのは、どの政党も根本に自らの理念を持って行動していないからです」と断じた吉本隆明の言葉に私は耳を傾けないわけにはいかない。彼はそう言ったあと次のように述べている。

「このままでは、中国もそのうち、かつてのファシズム国家がやったように、軍事力と経済力にものを言わせて、周辺国にいうこと聞かせるような国家になっていくことでしょう。日本が執拗に理念をもって、相対すれば、それをくいとめられるかもしれません。日本人が保持し、世界に向けて呼びかけるべきは、やはり九条の「平和主義」なのではないでしょうか」(『文藝春秋』2011年4月号)

30代 もともと日本の政治家も政党も理念をつくるのはあまり得意ではない。「造反有理」とか「愛国無罪」とか、ことあるごとに理念を掲げる中国などと比べると、それがきわ立つ。

年金 岡本隆司の『教養としての「中国史」の読み方』によれば、広大で地域差の大きい中国はそのバラバラ状態をなんとかまとめようと、ことあるごとに「一つの中国」を強調する。これもまた政治上の理念のひとつであり、それをより具体化するために、さらに様々な理念が編み出される。

 そんなバラバラ状態を経験していない日本はしたがって、国内をまとめるための理念を中国ほど必要としない。しかし、日本でも、政治が前に進むときはやはり理念が威力を発揮したことも確かだ。かつての自民党の「自由社会を守る」は高度経済成長政策をあと押ししたし、旧民主党の「国民の生活が第一」は政権交代の駆動力となった。

30代 いまそれに匹敵するような政治上の理念を想定することができるだろうか。

年金 文句なしに挙げることができるのは「平和」だ。ウクライナや中東でおびただしい血が流れているのを理由に、それを掲げることを「平和ボケ」と揶揄する言葉が浴びせられるとしたら、むしろこの理念の切実さを物語っている。

 もうひとつ必須となる理念は、吉本隆明が「自由」「平等」と並べて提起した「相互扶助」だろう。少子高齢化の進行で、国家の再分配機能の中心をなす社会保障の制度がほころびを広げているからだ。だが、それに取って代わり得る「相互扶助」のシステムの具体的な姿を私はイメージできないでいる。