がらがら橋日記 シンクロニシティ

 

 5歳になる孫の話である。朝起き出して、母親に、「ゆめで目にきくくすりをかったんだー。おれんじいろのいれもののやつ。目がよくなった」と言った。母親にしてみれば「ふーん」というだけの話である。ところが、そばでそれを聞いていた父親がたまげて言うには、会社の帰りに目がチカチカするので薬局に寄って目薬を買い求めた。それがオレンジ色の容器だった。孫はそのことを知りもしないし、見てもいないのだ。

 心理学でいう共時性(シンクロニシティ)の一種かと思うが、個人の境界というのは自分が思うほどくっきりとはしていなくて、意識などは身体を飛び越えて人や物などとけっこう行き来しているのかもしれない。孫の話を偶然とかたづけるより、そう考えた方が納得できる。

 昨日は、今年最後の落語の稽古だった。たまたま塾生3人合同ですることになったのと、見学希望の子どもたちも来たので、常連のお客さんも合わせて、椅子も座布団も全部使っての大入り満員となった。とはいえ狭小住宅なので人数はしれているのだが、それでも肩寄せ合って老若男女が笑い興じているのを見ると、すっかり寄席だし、かつてイメージしていたことなので、これも孫の夢と同種の現象ではないかという気がしてくるのだった。つまり、ぼくのイメージしたことが(それはぼくではないだれかのイメージだったかもしれないのだが)東奥谷界隈に伝播して、めぐりめぐって形をなした。多くの人の手を借りねばならぬことが、しゃべってもいないのに実現したのだから、そういうことだろうと思う。

 ということは、実現するかどうかなどは脇に置いといて、よさそうなことは、せっせとイメージしてみればいいのだ。ただし、孫の場合は父親、私の場合は実家という極めて至近距離の濃密な関係性の中で発生しているから、あんまり大それたイメージを抱いても効果は疑わしい。やはりここは、利他的かつ手近なところの幸せを思い描くのがほどというものであろう。

 それにしても、夢の中でのこととはいえ、父親が目薬を差して、その薬効が子どもに現れたというのがおもしろい。昔、寅さんは言った。

「お前と俺は別の人間なんだぞ。早え話がだ。俺が芋食って、お前の尻からプッと屁が出るか?」

 出るかもしれない。