空き家 5 生家の行く末⑤

 少し前のこと、NHKスペシャルで、空き家問題を取り上げていた。何と、全国で1000万戸あるという。しかも田舎に限った話ではない。今や国全体の問題となっているのだ。

 現役で勤めていた頃から、空き家は子どもたちのために良くないと注視されていた。犯罪の温床になりかねないし、老朽化のために崩れて事故が起こる危険性もある。実際、街中で廃屋の前を歩いていて、倒れてきやしないかと不安になるところがある。

 一昨年撤去したプレハブの前は、工場が建っていた。その工場を壊したのは、近所に住むお婆さんが、「お宅の工場のトタンが、風で飛んできて」と言われたからだ。近所に迷惑をかけるといけないと思い、急いで業者を頼み、取り払ってもらった。その後設置したプレハブも、海に近いせいか潮風で錆びて床が抜け、天井も穴が空き、このまま放っておいたらいずれ近所に迷惑をかけるような事態が起こるのではと思い、撤去をすることにした。

 物置としてプレハブには普段使わない物を入れていたが、いざ処分となるとあれこれ心が痛んだ。雨水が入って使い物にならなくなっていたとはいえ、長く使っていた座布団を捨てるのは惜しかった。盆灯篭など、親戚からいただいた物は余計に胸が痛んだ。油絵で描いた祖母の肖像画は、最後までどうしようか迷ってしまった。けれども、祖母を知る者は従弟くらいしか居ない。どこかで踏ん切りをつけなくてはいけない。「おばあちゃん、ごめん」と心の中で何度も繰り返しながら、業者に「すべて処分してください」とお願いした。

 物置でさえそうだった。では、家本体となるとどうだろう。瓦は数年前に葺き替え、建物自体まだ三十年やそこらは大丈夫だと従兄は言っている。けれども、年々傷みが激しくなり、近所に迷惑をかけることも起こりうる。それより、自分の身体の方が先に傷んでしまったら、あとの始末を子どもたちに押し付けるわけにはいかない。まだ、押し入れには父や母の着物や帯が入っているし、仏壇だって据えられたままだ。あちこちに亡き家族と過ごした日々の名残が留まっている。それらの思いとどう渡りをつけていけばいいのだろう。