がらがら橋日記 リフォーム前

 

 リフォームを控えた実家での落語の公開稽古も回を重ねて、ご近所さんもこどもたちもそして私自身も少し慣れてきた。初めは、お客さんがいるなんて聞いてない、とばかりに戸惑っていた子が、だれもいないのを見とがめ、

「あれっ、今日はだれもいない。」

と言って肩を落とした。急な時間変更したのはあんたでしょ、と言いたかったが、原因なんぞ関心の埒外なのがおかしい。終わりごろに二人入ってこられたら、がぜん張り切り始めた。

「楽しみができました」と毎回通ってこられる常連客ができ、子どもたちの自信満々だったり混乱したりめまぐるしく変わる表情をにこにこして見ている様子をながめるにつけ、リフォームを機にこの場がなくなってしまうのが惜しくなってしまった。

 塾長に教室として貸し出すのは3月まで、4月からは工事に入る、と念を押した張本人は誰あろう私だが、気がつくとどうしたら維持できるか、そればかり考えている始末だ。かといって稽古の度に少なからぬ人たちが家の中にいるということが心重りになりはしないか、そう恐れる妻の気持ちも理解できる。

 自分たちだけで考えていても煮詰まりそうだったので、すべてリフォームを依頼した建築士に話して、迷いの仕分けをしてもらうことにした。

「サザエさんの家」みたいな表は、ブロック塀も庭木も盆栽の鉢もすべて取り去ってコンクリートを敷いたのでガランとして、カーテンを開ければ中で何をしているのか丸見えになる。建築士ご夫妻によれば、それで警戒心が取れ気軽に立ち寄れる場になった。確かにそう思う。道行く人の警戒を解くだけではない、中に住まう者のそれも解けた。

 稽古時間の急な変更がちょっとしたアクシデントをもたらした。来たのに稽古が終わったと思ったお年寄りが押し車をそのまま玄関先に忘れていかれたので、行方不明になったかも、とちょっとした騒ぎになった。幸いすぐに見つかってそこにいた人たちは胸なで下ろして帰って行かれたが、その間家の前がミーティングや情報交換の場になっていた。稽古が町内の老人たちを互いに気遣う機会の一つとなるのなら、ただの稽古だけではなくなるかもしれない。忘れられた押し車がポツンとあるってちょっといい、と思った。もちろんお年寄りが無事だったからだけど。