空き家 5 生家の行く末②
かれこれ10年くらい前だと思うが、一通の封書が届いた。差出人に心当たりはなく、住所も九州の行ったことのないところからだ。恐る恐る開封して読むと、所有権放棄の書類に承諾なら押印し、返信用封筒に入れて投函するようにとのことだった。その不動産というのが、地価はほんのわずかな額なのに、関連する人の名が大勢書き連ねられている。並んだ名前をよくよく見ると、父方の従兄姉などの名前があり、叔父(故人)とその連れ合い(故人)の名前も見つけた。叔父の連れ合いの縁者だったのだ。そこに並んだすべての人に同じ書類が送られたはずだ。会ったこともない、行ったこともない土地の所有問題に、こんなに手間がかかるのかと驚いたものだ。
生家には、子どもたちが大きくなって付いてこなくなっても、庭に草が生えると除草剤を撒き、盆正月は掃除をし、仏壇を開け、傷んだところは修理してきた。家を維持することだけで、自分が居なくなった後のことまで考えてはいなかった。それに目を向けねばと思わされたのが、あの封書だった気がする。
それが、封書のこともやがて頭から消え、孫の世話や義母の介護に日々流されていく。見ようとしなかった目の前の課題に引き戻されたのが義母の死だった。子どもたちにはそれぞれ自分の生活があり、夫と二人で考えることになる。どちらかが介護が必要になれば、身動きがとれなくなってしまう。まだ思考でき、行動できるうちに事をおこさねばならない。
とは思いつつ、まだ現状維持を続けている。先日は、生家の庭に生えた木を伐採し、一昨年の夏に撤去したプレハブ跡に切り取った枝を運んだ。夫が切った木の始末をしていると、「おい、母さん、来て」と言うので呼ばれた場所に行くと、すっかり枯れてしまったと思っていたイチジクの朽ち木の下から、小さな新しい枝が出ているではないか。「あ、これ、切らないでよ」と返す。まだまだ、踏ん切りがつきそうにない自分がいる。