ニュース日記 900 AIと資本主義

 

30代フリーター 社会学者の大澤真幸が朝日新聞のインタビューで、人間にしかできないと思われてきた創造性の必要な仕事こそAIは得意としていると指摘していた(11月2日朝刊)。一般に創造性が高いと言われている仕事は、実はたいてい過去にだれかが思いついていて、生成AIはそれを探し出してやってしまう、と。

年金生活者 AIが生成するのは、すでにだれかが思いついたものばかりではない。短歌を生成するAIがある。上の句を入力すると、即座にいくつもの下の句を出力する。そのレベルはまだ人間にはおよばないが、いずれ追い越すのではないかと考えられている。

 だが、いくらAIが高度な短歌を作れるようになっても、AI自身はそれを味わい、それに感銘を受けることはない。AIにはできなくて、人間にしかできないことをあげるとすれば、それは「創造」ではなく「鑑賞」だ。創造を仕事一般に置き換えて考えれば、人間にしかできないのは、仕事ではなく、仕事の成果を享受することだと言わなければならない。

30代 人間は仕事より遊びに向いている。

年金 私たちが仕事と呼んでいるものは、賃労働をはじめとして、いずれも対価を得るための労働を指している。言い換えれば貨幣によって交換されるのが仕事であり、それは特定のだれかにしかできないものではなく、その従事者は交代が可能だ。AIが人間の仕事を奪ってしまう理由がそこにある。

 これに対し、「鑑賞」や「享受」や「消費」はだれかに代わってもらうことができない。おのれの五感、おのれの感情、おのれの知性だけがそれをできる。大澤はインタビューで「ピンとくるとか、腹に落ちるといった感覚」を挙げ、「生成AIを利用しても、この理解の仕方はできません」と語っている。それはAIが「鑑賞」も「享受」も「消費」もできないことに由来している。

30代 人間の仕事がAIに奪われてしまうと、「多くの労働者は生きる意味を失い、アイデンティティーの危機に陥るでしょう」と大澤は予測している。「自分の価値がどう評価されているかについて、労働市場での成功と切り離すのは難しい。他者から必要とされず、承認もされない中で自分の生きがいを保てるかと言われたら、私も自信はありません」と。

年金 「労働者のアイデンティティー」を支えている力をひと言で言えば貨幣の力だ。それはどんな商品でも、欲しいときに手に入れることができるはずだという万能感を人に与える。人間はその貨幣の支えを失いそうになれば、それを手離すまいとして、どんな仕事にでもしがみつく可能性がある。

 大澤は、アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーの言う「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」を例にあげ、「人間にとってはそんな仕事ですら人生のよりどころとなる」と言う。「ブルシット・ジョブ」とは、たとえばだれかを偉そうにみせるために存在している受付係やドアアテンダント、雇用主のために他人を脅したり欺いたりする顧問弁護士や広報スペシャリストなどを指す。

 そうした仕事の従事者の中には、自分のしていることの「クソどうでもよさ」を覆い隠すために、仕事に嗜癖し、ワーカホリックになる者も出てくるだろう。それは人間だけができることで、AIにはできない。

30代 そんな仕事がなぜ存在しているんだ。

年金 資本主義的な競争の勝者がそのポジションを維持するため、と考えれば納得しやすい。それらは本来は不必要なもので、社会的に有害でさえある、とグレーバーは考える。

 しかし、それらを人為的になくすことはできない。法律で禁止すれば、職業選択の自由を定めた憲法のある国なら、訴訟が相次ぐだろう。一時的にはなくなるかもしれないが、形を変えて復活するか、代わりの「クソどうでもいい仕事」が出現するだろう。「ブルシット・ジョブ」は資本主義が必然的に生んだものだからだ。

 「脱成長コミュニズム」を掲げる斎藤幸平は、その実現のために「私たちがなすべきこと」を列挙している(『人新世の「資本論」』)。そのひとつに「労働時間の短縮」があり、そのために「例えば、マーケティング、広告、パッケージングなどによって人々の欲望を不必要に喚起することは禁止される」と書いている。

 「禁止」すれば「脱成長コミュニズム」が資本主義に取って代わる条件のひとつが整うと言いたいようだ。それは因果が逆だ。資本主義が終われば、それらの仕事は禁止しなくても消滅する。だからといって、禁止すれば資本主義が終わりに向かうことなどあり得ない。

30代 資本主義が終わるとすればどんなときだ。

年金 資本主義の打倒を目指す革命運動は、マルクスの時代には経済恐慌を、レーニンの時代には帝国主義戦争を革命に利用しようとした。だが、それらの危機はいずれも資本主義に自己修正を強いることのよって、その延命に手を貸した。代わりに気候変動を利用しようとする考えがいま出てきているが、同様の運命をたどるだろう。

資本主義はもう発展の余地がないところまで発展し尽くしたときにしか終わらない。