がらがら橋日記 日田③

日田 古民家ギャラリー

  オーナーは、五十がらみの運動帰りのような軽快な服装と雰囲気をまとった人だった。自分のイメージする九州人に近く、よくしゃべる人だった。茅葺きの生家を小鹿田焼を中心にしたギャラリーにしていて、自身も書やデザインをよくするらしい。JRのクルーズトレイン「七つ星」の観光コースにも組み入れられているというからかなりの目利きなのだろう。

 しばらく小鹿田焼の話をしていたが、ぼくたちが松江から来たことをおもしろがって、観光地の話を互いにし始めた。オーナーは、萩の人とちょっとした言い合いになったという話をし始めた。

「明倫館なんかつまらん、って言いましたらね、明らかにムッとしているんですよ。」

 そこからオーナーの自説が説かれるのだが、要は、ただの展示場所として公開するだけでそこを知ることができるはずがない、明倫館は明倫館として体験できる場所にすべし、と言うのだ。靴をそろえず上がったとしたら明倫館なら黙って見てはいず叱るだろう。資料を置いたところでだれも読みはしない。順路に沿って歩いたところで、何も見た気にならない。館風に合わねば叱られるような、館のかつての有り様そのものを提供した方がよほどエンターテインメントとしておもしろいんじゃないか。

 なるほど確かにおもしろい。前回九州に来たとき訪れた教会を思い出す。今も祈りの空間として地元の人に大切にされていることが建物全体から感じられて、見学場所は制限されていたのに強い印象が残った。

 オーナーは、それに続けて、なぜそう思うに至ったかきっかけになる出来事を語った。

「日田に咸宜園という江戸時代の私塾があります。」

 それはもちろん知っている。今朝行った。

「そこで上がるように言われて、夫婦で話を聞いたんです。途中で『お二人は話を聞いておられません』とひどく叱られましてねえ。」

 なぜまったく知らなかったこの店に立ち寄り、オーナーの帰宅を乞われるままに待ち、昼を過ぎても双方のおしゃべりが続いたのか。すべてはこの話にたどりつくための助走だったのではないか。

「叱られたんだけど、不愉快じゃなかったんです。この年になると叱られることなんてないですしね、これはおもしろいと思ったんです。」

 実は、私も今朝叱られました、と咸宜園での出来事を話すとオーナーは膝を叩いて笑った。同一人物としか考えられない人から叱られたのだが、それをエンターテイメントのアイデアにまで昇華させる人物を前に、ぼくたちはみんなご機嫌になった。