がらがら橋日記 日田①

雲仙普賢岳から紅葉した山を見る
天気はもう一つでしたが、紅葉が美しかった。雲仙普賢岳より。10月28日

 

 10月の終わりに九州に行った。学生時代のクラブ活動の後輩夫婦が長崎に住んでおり、ここ数年低山ハイクに夢中と聞いていたので、一度いっしょに登ろうという話になったのだった。

 去年久住山に登ったとき、九州の山容や山からの眺望が中国地方のそれとはずいぶん違うことに興味を覚えたのと、名だたる温泉が豊富にあることから、九州は何度でも訪れたいお気に入りになっている。

 早朝に松江を出発し、午後には島原半島に着いた。小浜温泉に1泊して翌朝雲仙普賢岳に登り、再度小浜温泉に泊。3日目は島原の乱の遺跡である原城跡に立ち寄り、その後日田に向かって泊。4日目に小鹿田焼の窯元を巡って帰松。登山については現地の二人に任せ、あとは日田に寄りたい、ぐらいしか考えず、行ってからどうするか決めようというお気楽な旅だ。どうせするなら荷物も計画も詰め込まない旅がしたい。

 日田では咸宜園を訪ねた。以前『江戸の読書会』(前田勉・平凡選書)というおもしろい本を読んだときにその名を記憶したのだが、それが九州のどこにあったかなど忘れてしまっていた。日田が咸宜園とともにある町と知って、自分のスカスカの記憶を補充するためにも旧跡を訪ねておきたいと思った。

 まだ朝の9時にもなっていなかったが、敷地内に入ることができたので、別棟の2階建ての書斎や母屋を見て回った。母屋の勝手口にはスーツにネクタイの70前後とおぼしい男性が立っていた。受付の人かと思ったが何だか様子がいかめしい。人物リサーチも兼ねて建物は復元かと話しかけてみると、

「いいえ、当時のままです。」

とだけ言い、特にこちらに目をやることもない。総じて九州の人は男女ともによくしゃべり、愛想がいい印象があるが極めてぶっきらぼうだ。状況としては係員としか思えないが、まとう空気が異様に硬質だ。

 座敷の障子は閉まっていたが少し開けてみると、受付の座机が据えられていて、パンフや受付簿が置いてあった。他に人がいないので、受付簿に名前を書いて見学する方式なのだろうと思い、靴を脱いで座敷に上がった。

「ここは何時に開くと書いてありましたか。」

 後ろから、難詰する口調で声をかけられた。ぎょっとして振り向くと、さっきのスーツの男性だった。何を聞かれたのかよくわからず、しどろもどろに何かしゃべると、

「私は10年ここにいますが、あなたのように勝手に上がる人を見たのは初めてです。」

 口調は落ち着いているがかなりの剣幕だ。(続く)