空き家 25 生家の思い出⑮

 

 土の香りが消え、父の虚栄のような雰囲気の生家から遠のいた私は、新しい土地での暮らしの方に馴染んでいく。その間、家の状況は様変わりしていた。オイルショックを何とか切り抜けた父は図に乗ったのか、3軒目の工場を建てたり、不相応な事務所を作ったりしていた。母の言うことに耳を貸さず、返すためにまたお金を借り、雪だるま式に借金が膨らんでいるとのことだ。突然母が下宿に転がり込んできたのは3年生の時。そこで初めて家の状況を知らされた。何事にも耐え抜いてきた強い母が、急に小さくひ弱に見えた。これからは、私が母を守らねばならない。

 それでも、仲間との関係も断ちがたく、心は揺れていた。先輩のしごきに共に耐え、汗し、語り合い、絆を深めてきた仲間の存在がどんどん大きくなっていて、この地で働きたいと思うようになっていた。揺れる心のまま、4年生に突入、2箇所の教員採用試験を受けた。

 地元の2次試験の案内がポストに入った日、母がまた下宿にやってきた。父の事業はのっぴきならない状況に陥っているとのこと。2次試験を受けには帰らないつもりでいたのだが、案内を母に見られてしまっている。しかも、その時の母の様子からして、この先父と二人にはできないのではないかと思ったのだ。

 希望していた事務所から採用の通知が来たが、父の「家に戻れ」の一言で、泣く泣く断りの連絡を入れた。オイルショック後わずかの期間で事業を行き詰らせ、家を抵当に入れ、母を苦しめた父を責めつつ、父なりに必死だったろう、そして、こうなった今、家族揃って危機を乗り越えたいのだろうか、あれこれ思いめぐらしながら、地元での就職を決めた。

島根半島の小さな町の小学校に赴任し、何年も経ったと思える3か月半が過ぎ、母が犬を連れて間借りをしている家に転がり込んできたのは夏休みに入ってすぐのこと。父は借金の返済に駆けずり回っているという。自分も働いて少しでも返済したいので、働き先を一緒に探してくれとのこと。幸い授業がないので休みを取り、暑い中を二人で職探しに回った。そして、見つけたのが家政婦斡旋所だった。