がらがら橋日記 初稽古
この間、松江算数活塾落語教室でついに初稽古をした。去年のちょうど今ごろ話を持ちかけられ、熟考など一度もしないままずるずると講師となり、開校を迎えて今日に至る。その間ずっと落語教室なんぞに塾生が来るのか半信半疑だった。いや、正確には八割が疑だ。塾長は、生徒が集まらなくても三年はしがみつく、と言っているので、まあそれまでいっしょに待ってみて、それでダメならあきらめようかと思っていた。三年待つどころか、三月待たずして塾生が入ったのには驚いた。小学一年生の女の子である。体験教室の折には、体をくねらせて母親にまとわりつき、「私は恥ずかしいのだ」と全身で表していたのだが、興味はひいたようだ。家に帰ってから「落語がやりたい」と言ってきた、と後に母親から聞いたときは笑ってしまった。
初稽古は、ぼくも緊張した。ぼく自身に稽古を受けた経験がなく、落語界が営々と培ってきた方法や技術とはまったく無縁で、あるのは高尾小学校での試行錯誤の経験だけだ。先行事例も皆無だから指針となるのは己の勘のみ。強みはだれのせいにもできないかわりに失うものは何もないということぐらいだ。
学校だと子どもの様子がわかったうえで稽古するので、プランを立てやすいのだが、一度会ったきりの子どもに稽古を付けるのはぼくも初めてで、どうにも無駄に力が入ってしまう。やっかいなのは、どこが無駄かよく分からないことだ。子どもがやってくる直前までああしようかこうしようかと迷ったすえ、「じゅげむ」と小咄の二つに絞り込んで提示することにした。六畳の間に座布団を二つ置いて稽古場はできあがり。この簡素さが落語の真骨頂だ。
母親に付き添われて落語教室生第一号はやってきた。母親はそのまま帰っていったが、不安な表情を浮かべるでもなく、座布団にちょこんと座っている。それなりに覚悟をしてきたらしい。最初から「じゅげむ」は荷が重かろうと小咄のテキストを渡して、読んで聞かせた。子どもの表情が曇り始める。「ん、気に入らなかったか」、と思ったら、
「長い。」
と言って、身をくねらせた。これが長かったら、あとは「隣の家に囲いができたってねえ」「へい」しかないぞ、と思ったが、嫌気が差したらいけないので急遽より短い話に替えた。それでも長かったようで、さっきよりはいくらか小ぶりに身をくねらせた。こうして初日はどうにか終了。しくじったか、と心の隅に澱が残った。が、後日母親から聞いた。あちこちで披露して大受けしてるそうだ。