空き家 23 生家の思い出⑩

 

 家の暮らしに次第に慣れてくると、学校生活にも少しずつ馴染んでいった。言葉は出雲弁になっていき、一緒に教室移動したり休み時間に話したりする相手もできていった。

 ただ、困ったことがあった。給食だ。泉南の小学校は弁当だったので、私にとって初めての経験だ。まず、脱脂粉乳が不味かった。それと、コッペパンは大きすぎ、食パンは枚数が多すぎた。おかずは好きなのもあったけど、サラダにミカンや干しブドウが入っているのは鼻をつまんで食べた。厄介なのは、給食を食べた後、毎日のように下痢をすること。あまりに頻繁に下痢をするもので、一度医院に行って診てもらった。その時は、「腸が長いですね」と言われて納得したが、後で考えてみると、腸の長い草食動物の羊などはポロポロのウンチをする。野菜好きだから草食動物系なのは確かなのだが、下痢の原因は分からずじまい。そのうち下痢は減っていったから、馴染みのない食事に腸がびっくりしたということか。

 次に困ったのが、体育の授業でやるバレーボール。皆小学校の部活動で経験しているのでボールの扱いがうまい。泉南では部活動などなく、放課後校庭でドッジボールをして遊ぶことはあっても、バレーボールなど触ったこともない。クラスメイトが休み時間に教えてくれ、従兄にもらったバレーボールを屋根に放ってレシーブの練習をした。ついでに運動について言えば、小学校の頃は幼児期に心臓が弱くて医者通いをしていたので、学校から来る健康調査票にそのことを書き、体育で長距離走があるといつも見学していた。ところが、中学校で健康診断をしたら心臓など悪くはないとのこと。そこで、スポーツテストの際、初めて長距離を走ったところ、息苦しいのなんの。完走できずじまいだった。

 あと、面食らったのは冬のダルマストーブ。泉南では、低学年の頃教室の隅に火鉢が置いてあったのを覚えている。校舎が新しくなってからは石油ストーブだった。冬が近づいたある日、新聞を硬く丸め針金で締めて持って来るように言われ、何だろうと思ったら、ストーブの焚きつけだった。それを油に浸して使うのだ。日直が毎朝、石炭の山からバケツ一杯分の石炭を運ぶのもびっくり。スクールバスの早便の時は、ストーブに火を点ける役を担った。