ニュース日記 893 おもしろくない政治
30代フリーター 内閣改造と自民党の役員人事について「何をやりたいのかがわからない人事」と、高安健将という政治学者が朝日新聞でコメントしていた(9月14日朝刊)。
年金生活者 そんな政権が支持率を落としながらも続いているのは、国民自身が「何をやってほしいかわからなくなっている」からかもしれない。
30代 国民はいつだって暮らしやすさ、働きやすさを求めているだろう。
年金 それを実現するために政治に何をやってほしいのか、それがわからなくなっているのではないか。
かつてなら「やってほしいこと」は明瞭だった。つまり経済を成長させることにそれはほとんど尽きた。それは自民党の保守本流政権による軽武装・経済優先路線によって現実のものとなった。高度経済成長を経て暮らしやすさ、働きやすさは格段に進んだ。あす食べる物を心配しなくて済むようになっただけでなく、家計に占める選択的消費が必需的消費と半々になるくらいに拡大した。
その結果、国民は選択的消費を控えることによって、当面の生活に困ることなく、経済を停滞させ、時の政権を倒すことのできる潜在的な力を手にした。それは国家の権力の一部が個人に分散したことを意味する。言い換えれば、国民はかつてないほど自由を手にした。だが、時代を画するこの大きな達成のあと、国民は次に政治に「やってほしいこと」がわからなくなった。
30代 内閣支持率が低迷しているのは、「やってほしいこと」があるのに、それをやらない政権に国民が不満を募らせているからではないのか。
年金 「やってほしいこと」はあるのだが、それが人や集団によってバラバラで、かつてのように国民の大多数が一致して「やってほしい」と望むことがなくなったと考えるほうがより正確かもしれない。
1964年の1回目の東京五輪、1970年の大阪万博は、日本国民の大多数が一致して高度経済成長を望んだ時代の象徴的なイベントだった。これに対し、2021年の2回目の東京五輪は前回ほど国民的な熱狂を誘わず、2025年の大阪・関西万博に至ってはまともな開催さえ危ぶまれている。この差が、かつては明瞭に存在した「やってほしいこと」が今は不明瞭になったことを示している。
個々の国民、あるいはその所属集団や階層に目を向ければ、様々な「やってほしいこと」があるだろう。しかし、それらは国民が一致して望むことではなく、それぞれの立場や環境に応じて多様であり、また利害がぶつかり合うものも少なくない。
この「多様化」は、国民が望んだ高度経済成長の結果でもある。選択的消費の拡大で国民の欲求も様々になり、政治に望むことも一様ではなくなった。
資本主義を擁護する自民党と社会主義を掲げる社会党との間に成立した55年体制が崩れた背景には、そうした「多様化」があった。もともと「多様」な考えの持ち主の寄り合い所帯だった自民党に加えて、野党も「多様」になり、今や「多弱」と揶揄されるまでになった。
30代 山崎元という経済評論家が今の日本の政治は「驚くほどつまらない」と批判している(9月20日ダイヤモンド・オンライン)。
年金 たしかにつまらない。おもしろくない。岸田政権になってとりわけそれが顕著になった。
政治は娯楽ではないのだから、おもしろさを求めるのは見当違いだという考えもあるだろう。だが、ちっともおもしろくない選挙に、わざわざ投票所まで足を運ぶ有権者がどれだけいるか。政治にはエンターテイメントの一面があるからこそ、大勢の有権者が関心を持ち、一票を投じに出かける。米大統領選のにぎわいぶりがそれを物語っている。
政治がエンターテイメントになるのは、それが争い事だからだ。多くの映画やドラマが人や集団の対立や葛藤を描いているのを見れば、それは納得できるはずだ。ところが、圧倒的多数の与党と「多弱」の野党から成る今の永田町は本格的な対立も葛藤もない。
30代 安倍政権の時代にはまだそれがあった。
年金 あの政権は、選択的消費の拡大によって国民に分散した国家の権力を回収することを最大の使命としていた。憲法改正を最終目標に置きながら、集団的自衛権の行使を一部容認する安保法制の制定を強行したのは、それを実行に移したものだ。そこに対立、葛藤が生まれた。
30代 岸田政権には使命などおよそなさそうだ。
年金 すでに多くの国民が政治にあまりエンターテイメント性を求めなくなっている。楽しみはほかにいくらでもある。高度経済成長を経て出現した消費社会とインターネットの普及がそれを可能にした。
エンターテイメントに限らず、様々な分野において政治に頼らなくても個人や企業の手でできることが増えている。その最大の例をあげると、かつて第2次産業中心の時代には産業のインフラ整備を国家にしてもらわなければならなかったが、第3次産業中心の現在はその必要が大幅に減ったことがある。
政治の役割は相対的に低下し、国民はかつてほど政治に期待しなくなった。内閣支持率の低迷が岸田おろしにつながらない理由のひとつがそこにある。