がらがら橋日記 三カ月
3日、3カ月、3年、という言葉を初めて聞いたのは、原付バイクの免許を取ったときだった。そのころに事故を起こしやすいから気をつけろと同級生に言われた。ただの語呂合わせのようでいながら、妙に説得力があった。後に、3日我慢すれば3カ月耐えられる、と社会人の心得として言う人に出会い、もともとの出典はどのように使っていたのか気になったが、今もってわからない。
塾を開校してぼちぼち3カ月を迎えようとしている。経営や労務管理をせねばならぬ塾長に比べれば暢気なもので、さして忍耐力の出番もないのであるが、それでも3カ月の間にはいろんなことが起きた。禍福はあざなえる縄のごとし、計画通りに事が運ぶはずもなく、それがために新しいことに道が開け、よかれと思ったことが裏目に出、裏目が見せてくれたものに導かれ、と新しく事を起こして迎えた混乱期の現在ただ中である。
今月初め、東京から顧問を迎えた。算数教育の権威、公立小学校を定年退職後、乞われて私立小学校の校長になった。午後からの講演を前に、我が実家東奥谷教室で特別授業をしてもらった。畳敷きの松下村塾みたいな教室だが、
「いいなあ、うらやましい。ぼくもこういうところでやりたいなあ。」
と笑う。おもしろいもので、開校するまでどんよりとうらぶれて陰気くさかった実家が、一人とはいえ毎週子どもが通ってくるようになったら、張り切っているように見えるのだ。こっちの見方が変わっただけなんだろうけど。
顧問は、今の小学校に赴任すると、教師の質を上げることに奔走し、下降線をたどっていた入学生を倍増させた。それに要する時間を尋ねると、
「3年ですね。」
出た、ここでも3だ。
「3年で結果が出なかったら?」
「そのときは方向転換しろ、ということでしょう。」
3年かあ、とつぶやいたら、
「大丈夫、もう一人入ってごらんなさい、倍増だ。」
元気づけられているのか、おちょくられているのかわからない。でもその通りである。
あっちにぶつかり、こっちにぶつけしながら迎えた3カ月目だが、顧問の予言は的中した。塾生がもう一人加わったのだ。ついでに(夢は低く、と心に決めたのでこう書くが)落語教室の塾生も誕生した。おーはずないがや(いるはずないでしょ)と思っていたにもかかわらず。こんなこともあるのだ、世の中は。