空き家 21 生家の思い出⑧

 

 今も土いじりが好きで、猛暑日でも畑に向かうのは、祖母や伯母に付いて畑に行くようになったことが大きいと思う。気が向いた時に行く程度だったけれど、土に触れる感覚が身体の中を流れるものと呼応したのだろうか。泉南では、小さい頃一度、母の勤め先の社長の実家に稲刈りに付いて行ったことはあるが、それ以外に田畑に関わることはなかった。

 元屋敷跡を畑にし、そこで野菜を栽培していた。日々食卓に上がる菜物や豆類で、祖母が伯母と採りに行っては調理していた。父は勿論、父の工場で働いていた母も仕事漬けで、炊事は祖母が担当。食材は、たまに父が投網で捕って来る魚や畑で採れた物。連日同じおかずが卓袱台に乗ることが多かった。今は毎日でもいいくらいの好物になっているエンドウ豆の煮物など、鉢を見るだけで食欲を失っていた。大根煮〆もしかり。学校から帰って玄関を開け、「えっ、今日カレー?」と言うと、土間の奥から祖母が「ふぁっふぁっふぁ」と歯のない大口を開けた顔を見せた。私の顔を見て、また「ふぁっふぁっふぁ」。

 ある年は長芋を作り、芋堀に付いて行った。「いい加減なとこで抜いたらすぐ折れえけんな、先が細んなあとこまで掘らにゃいけんよ」と祖母に言われ、どんどん掘っていく。ところが、肘が入るところまで掘ってもまだ細くならない。肩が入るくらいまで掘って、ようやく抜けた。一本掘ってやり遂げた気分になったと同時に、二度とやるまいと思った。

 一キロまではないけれども、少し先にある畑に西瓜を何度か植えた。リアカーを引いて祖母と伯母と収穫に向かう。大玉を作った年は、大きく育ったものの甘みは少なかった。小玉を植えた年は、黄色くて甘い玉がどんどんできた。でも、そのうち食べ飽きてしまった。

 その畑にはサツマイモを毎年のように植えていた。赤くてほくほくする芋がつくのは「こうけい」、褪せた色で繊維が豊富なのは「ぎふ」だと祖母が言っていた。小さい芋は、料理に使わず石焼き芋にする。古い薬缶に石を敷き、湯を注ぐところをふさいで竈で焼く。「ぎふ」という芋は見た目筋っぽくて美味しそうではないけれど、皮をはいで白っぽい芋を頬張ると、蜜のように甘かった。おやつといえば、「ぎふ」の石焼き芋が一番に浮かんでくる。