ニュース日記 890 トランプのいる時代
30代フリーター 大谷翔平、井上尚弥、藤井聡太らを見ていると、21世紀は天才の世紀ではないかと思えてくる。20世紀にも数々の天才がいたが、一般の民衆には縁遠い学問や芸術の分野に偏っていた印象がある。
年金生活者 大谷、井上、藤井の凄さは、持てる技能のイノベーションを続けていることだけにあるのではない。彼らはそれぞれの分野にパラダイムシフトを引き起こした。野球を変え、ボクシングを変え、将棋を変えた。
同様の天才を世界の名の知れた人物の中からあげるとすれば、イーロン・マスク、ドナルド・トランプといった名前が思い浮かぶ。絶えざるイノベーションが常態化し、それが世界経済を支える時代にあって、このふたりは、そのイノベーションをも超えるパラダイムシフトを促す役を担っていると言える。
30代 あのふたりを嫌う者は世界に多い。
年金 マスクが目指す自動運転の実現や火星への移住は、実存主義から構造主義に本流が移ったフランス現代思想の転換を思わせる。個々のクルマという「実存」ではなく、自動運転システムという「構造」が事を決定する未来、地球という「実存」が宇宙という「構造」の中に位置づけられる未来を彼は見ている。
トランプは、東西冷戦の終結後に急進展したグローバリゼーションが曲がり角にきたことを察知し、世界に先駆けて自国第一主義(アメリカ・ファースト)を掲げて、中国との対決姿勢を鮮明にした。それまで中国を巻き込みながら利潤の源泉を広げてきたグローバル化が逆にその源泉を狭める可能性が出てきたからだ。彼は国際秩序の枠組みをひっくり返すことをもくろんだ。
30代 それのどこが天才なんだ。
年金 現在の資本主義が利潤の主要な源泉としているのは、グローバル化と手を携えて進む絶え間ないイノベーションだ。それは生産性を向上させ、コストを下げ、世界にデフレを定着させた。富の稀少性が急速に縮減し、そのまま進めばやがてゼロまたはマイナスになる。そうなれば競争は必要なくなり、資本主義のシステムそのものが危うくなる。
グローバル化=イノベーションの反復にブレーキをかけなければならない。イノベーションに代わる利潤の源泉が必要となる。その有力候補がパラダイムシフトだ。それがどこで起きるかを察知し、それを促す行動をとることは、天才にしかできない。
30代 来年の米大統領選の行方を報じる先日の朝日新聞は「トランプ劇場再演 現実味」の見出しを掲げ、「起訴のたび『トランプ劇場』が演出され、支持率は上向いている」と伝えていた(8月26日朝刊)
年金 人心をわしづかみにする発信力がトランプの人気を支えており、世界史の向かう先をいち早くつかむ洞察力がその大もとにある。
バイデンがトランプ以上に対中強硬策をとっているのは、自前の考えがなく、前任者の切り開いた進路をたどるしかないので、差をつけるとすればそれをより強硬に実行するほかないからだ。岸田文雄が安倍晋三以上にタカ派的な安全保障政策に突き進んでいるのは、自分の考えを持ち合わせず、「俺は安倍もやれなかったことをやっている」を唯一の売りにするしかないからだ。そして再選、続投を確実視されていない点もふたりは似ている。
30代 アメリカにケンカを売られた中国のほうは若者の失業率が高まるなど経済が危なくなっている。福島第一原発の処理水放出に対して、習近平政権は日本の水産物の輸入を全面停止する強硬措置をとり、経済の低迷に不安を募らせる国民の目を外にそらせようとする、権力者のお決まりの行動に出た。
年金 ロシアに対する経済制裁がそれを実施する西側諸国にも打撃を与えているように、水産物禁輸は規模は小さいものの、中国にとって痛いはずだ。それでも、実行に踏み切ったのは、西側諸国が当面の損得勘定を超えてロシアを追い詰めることを選んだのと同じだ。
トランプが始めた対中経済制裁や、西側諸国が続ける対ロ経済制裁が、利潤の源泉を細らせ始めたデフレにブレーキをかけているように、処理水を口実にした、中国の対日経済制裁も同様の働きをしていると見ることができる。
30代 グローバル化といえば、ひところそれとセットで語られた「ボーダーレス」という言葉を聞かなくなった。「分断」という言葉がそれにとって代わったようだ。
年金 東西冷戦の終結後、世界を二分していたボーダーは消え、グローバリゼーションが始まった。空間的な境界がなくなっただけでなく、時間的な境界も消滅したと考えられた。『歴史の終わり』(フランシス・フクヤマ)が告げられ、これから先は時代を区分する境界は不要とされた。
その反動がいま到来している。ボーダーレスになることは、モノもカネもヒトも移動範囲が無限大になることを意味する。移動の速度は超高速にならざるを得ない。生産の場面では絶えざるイノベーションを強いられることになる。
ひとことで言うと、世界中がそれに疲れた。国家と資本が、ボーダーを復活させ、超高速にブレーキをかけ始めた。脱炭素も、対中、対ロ制裁も、その一環にほかならない。