空き家 18 生家の思い出⑤
祖母は、私が幼稚園に上がる頃は田舎へ帰っていた。母の姉である伯母の家で面倒をみてもらっていた左脚に麻痺が残る伯母を再び引き取り、細々とではあるが養蚕も復活させたようだ。田舎に帰ると、やはり蚕棚には桑の葉が敷き詰められていた。
小学校に上がってからは、夏休みに田舎へ帰ると、尼崎の伯父の息子で、私より3歳年下の従弟と過ごすようになった。従弟はまだ小学生ではなかったから、私が低学年の頃からだったと思う。母が私と従弟を連れて田舎へ行き、仕事がある母は泉南に帰り、残された従弟と私は祖母と伯母と過ごすのだ。従弟はわんぱく坊主のうえ理屈屋で、結構困らされた。「智恵美姉ちゃん、蚊も生きてんねんやから。殺したらあかんで」と言って、私が手や足に集った蚊を叩こうとすると、邪魔をする。しつこく付いて回られるのには参った。チャンバラの相手もずいぶんさせられた。私に勝てないと泣く。泣いても棒を振り回し、「もうやめよう」と言ってもかかってくる。とにかくしつこかった。海に泳ぎにいけば、水をかけてきたり、抱きついてきたり、脚を引っ張ったり。伯父の連れ合いの実家が近くにあり、従弟がそこに泊まりに行ってくれるとほっと一息つけた。
毎年のように従弟と夏休みを過ごしていたある年、1キロほど離れた父の実家に一緒に行ったことがある。何せ向こう見ずな従弟のこと、庭の脇にある、丸い井戸のような物に乗っかっている木製の板の上にのぼった。途端、板が割れ、脚が消える。慌てた従弟、「たすけてえ」と叫びながら、必死に枠にしがみつく。井戸に落っこちると思ったのだ。ところが、そこは肥溜。深いところに落ちる心配はなかったものの、脚が糞尿にまみれてしまった。伯父の奥さんが井戸水で洗い流して下さる横で、いい気味だ、これで少しは従弟のわんぱくも治まってくれればいいのにと思っていた。
ただ、田舎の家にテレビが据えられたのは、従弟のお陰だ。「今時テレビがない家なんてあるん」とか散々に祖母に言い寄ったからだ。ほとほと困らされた従弟だけど、短い間でもずっと一緒にいたせいか、私に兄弟がいないせいか、別れ際はちょっと寂しく感じた。