ニュース日記 885 安倍政権とは何だったのか
30代フリーター 安倍晋三が銃撃、殺害されて1年たった永田町の様子を朝日新聞が次のように伝えていた。
「政界では『安倍氏だったら、こうしていたはずだ』との言葉が飛び交う。安倍氏の『幻影』はいまも政治に影響を与えている」(7月9日朝刊)。その代表的な例として挙げているのが、LGBT理解増進法案に対して「安倍さんは、この法案によって社会が分断されることを懸念していた」などとして安倍派をはじめとした自民党の保守系議員が反対し続けたことだ。
年金生活者 もし彼が生きていたら、今の自民党を彩る安倍カラーがこれほど濃くなっていたかどうか疑問が残る。非業の死は人を神格化することがあるからだ。
死は生の個別性を離れて普遍性に向かうことを意味する。自然死の場合、その移行はなだらかだが、非業の死、不慮の死の場合は断層的な移行となる。そのぶん生の個別性に対する死の普遍性がきわだち、死者はより神に近づく。
30代 安倍亡きあとの岸田政権について政治学者の御厨貴が朝日新聞のインタビューで「政治が奇妙に『行政化』され、躍動感が失われた」と語り、次のように指摘している。「良きにつけ、あしきにつけ、安倍氏の政治は、彼なりのイデオロギーや思い入れに深く彩られていました。その根っこにあったのは、戦後体制を否定することでした」「それに対して岸田氏は状況追従型でやらなければならないことをただ進めているようです。そこには情熱も深い思い入れも見えません。これは理想を掲げる本来の意味での政治ではなく、行政のやり方です」(7月8日朝日新聞デジタル)
年金 資本主義の高度化とともに市民社会の力が増大し、そのぶん国家の力が相対的に低下していることが「行政化」の背景にある。安倍が目指したのは、そんな国家に力を取り戻させることだった。それを実現するために彼が選んだのが富の再分配と国防という国家の2大機能を強化することだった。前者はアベノミクスとして、後者は集団的自衛権の行使の一部容認を始めとした軍備の強化として具体化された。その推進力となったのが「彼なりのイデオロギーや思い入れ」(御厨)であり、「その根っこにあった」のが「戦後体制を否定すること」(同)だった。
30代 安倍政権は歴史の中にどう位置づけられることになるだろうか。
年金 安倍政権の使命は、民主党政権のデフレ路線を否定し、インフレを再来させることにあった。デフレでは利潤をあげにくい資本主義というシステムが与えた使命だった。アベノミクスは国民には都合のいいデフレを退治すべき悪者に仕立てるのに成功した。
2009年の政権交代時の民主党のマニフェストにある「国の総予算207兆円を全面組み替え」「税金のムダづかいと天下りを根絶」は、大がかりな金融緩和と財政支出を進めたアベノミクスとは対照的なデフレ路線と言っていい。
長谷川慶太郎はデフレを「買い手に極楽、売り手に地獄」と言い表した。モノやサービスを安くふんだんに手に入れられ、しかも賃金の下方硬直性に助けられて給料が下がらないデフレは国民にとってはインフレよりも好都合な状態だ。これに対し、企業のほうは買い手をつなぎとめるために利益の縮小を強いられ、しかもイノベーションのための投資を続けないと、小さな利益さえあげることができないので、1日も早い「デフレからの脱却」を願う。
そんなデフレに肯定的な民主党政権に霞が関は抵抗した。官僚は自らの存立基盤である資本主義の意思に背くことはできない。「国の総予算207兆円を全面組み替え」などもってのほかということになる。それは新たな財政支出をしないで行政サービスを拡充するという宣言であり、需要を抑制するデフレ路線にほかならない。
30代 民主党は「ムダをなくせば財源はいくらでもある」とホラを吹いて政権を握り、それが国民にバレて政権を失ったという批判が繰り返された。
年金 それはホラでもなければ、実行不可能なことでもなかった。抵抗する霞が関を押し返すことのできる理念と行動力を民主党政権が欠いていたということだ。
そのつまずきに乗じて政権に返り咲いた安倍晋三は「デフレからの脱却」を経済政策の柱に据え、資本主義システムの意思に忠実なアベノミクスを推し進めた。その結果、円安を招き、輸出企業を潤わせ、雇用を拡大し、それが国政選挙での全勝につながった。
民主党政権がデフレ路線でほとんど成果をあげることなく退場したことが、安倍政権には追い風になった。もし民主党が当初の路線を貫いていたら、「買い手に極楽」、すなわち政権交代時のスローガンだった「国民の生活が第1」の経済に近づいていた可能性がある。それは少なくとも今のようなインフレよりましなはずだ。
だが、旧民主党の後身の立憲民主党がとっているのはインフレ路線だ。その空白を埋めるように、「身を切る改革」を掲げる日本維新の会が「税金の無駄遣いをするな」と、旧民主党や、さらにさかのぼれば小泉政権のデフレ路線の名残りをとどめる主張を展開して勢力を拡大している。