がらがら橋日記 家霊

 

 7月をもって塾が開校した。草刈り作業に向かう先には経営者や元経営者もいて、つい話の流れで塾を始めるのだと言ってしまうことがある。

「それで生徒はどうやって募集するかね。」

 さすが経営者だ。収支の見通しが立っているのかがまず気になるようだ。

「まあ、あんまり集まりすぎてもかえって困りますからね。口コミで徐々に広がればいいかな、と。」

 経営者の眉間にしわが寄る。これだから世間知らずの学校の先生は、と出かかっているのがわかる。

「は。そーで今何人集まったかね。来月にはオープンすーでしょ?」

「ええ、今のところゼロです。」

 説教する気にもならなかったらしい。ぼくが参考までにと渡したチラシにチラッと目をやって、

「まあ、私の知り合いに話しとくわ。」

と協力を申し出てくれた。言い訳がましいのでぼくもそれ以上何も言わなかったが、経営者は塾長であり、ぼくは彼の意向を受けて自分のできる協力をするという立場である。塾長はじめそろいもそろって利潤を追うという意識が薄弱だから、敏腕経営者にあきれられてしまった。

 最初から飛ばせないもう一つの理由は、教室が来年度にならないと準備できないという事情があった。それまでの試運転期間は仮教室で運営しなければならない。塾長が打診してきたのは、築60年超の我が実家である。確かに老父が亡くなって、取り憑かれたように片付けをして、がらんとしてはいるのだが。あちこちゆがんでいて直さないと住めないよなあ、と放置していた代物だ。まあ実際に見てくれ、とても使い物にならんから、と言ったのだが、見た途端、「ここでやります」と塾長は決めてしまった。

 塾生が来る気配がないので、ずっとぐずぐずしていたが活活寄席をきっかけに友人の口入れで体験教室の応募があった。あわてて片付けや掃除をした。襖も外して二間続きの6畳を開け放って座卓を据えてみると、萩で見た松下村塾もこんな感じだったと思い出した。畳も障子も珍しくなってしまった今の子どもたちが座布団に座って勉強するのもいい経験になるかもしれない。落語にはぴったりだし。

 まさかと思った落語教室の体験希望もあった。小咄を教えて、高座のまね事をしてみた。小学生姉妹の落語に保護者と塾長とぼくで拍手喝采した。もし落語の塾生が誕生したら、稽古を開放して近所のお年寄りたちに見てもらおうと思った。内容とは関係なく岡本かの子の小説のタイトル家霊、という言葉が浮かんだ。