ニュース日記 884 言葉と武力

 

30代フリーター 6月25日夕方、JR新宿駅で「男が電車内で刃物を振り回している」という情報が伝わり、乗客が車内やホームを逃げ惑う騒ぎがあった。料理人の男性がうたた寝をしているうちに、布巾に包んで手に持っていた包丁が落ち、はずみで刃が見えたため、それを見た乗客が逃げ出したのがきっかけだった、と報じられている。

年金生活者 逃げ出した乗客は、だれかがその刃物で切りつけてくるかもしれないと感じたと推察される。だが、それはだれかの手に握られていたわけでも、振り回さていたわけでもない。刃物というモノはあるが、コトは何も起きていなかった。

 逃げ出した乗客らには、電車内ではいつ犯罪が起こるかわからないという、潜在的、顕在的な恐怖心が常にあり、刃を見たとたんにそれが破裂したと考えることができる。

30代 そうした恐怖心を生んだ直接の原因は過去に電車内で起きたいくつかの事件だろう。

年金 刃物で切りつけられるかもしれないとか、爆発物をしかけられるかもしれないといった凶悪犯罪への恐怖心だけではない。むしろそれは少ないだろう。たいていは、バッグをぶつけられるのではないか、足を踏まれるかもしれない、体を押されそうだ、といったことを乗客の多くは恐れていると推察される。

 それは私たちの社会で「万人の万人に対する冷戦」が続いていることを示している。資本主義の高度化がもたらした消費の過剰化が、国家の権力の一部を個人に分散させ、それを手にした諸個人が相応の処遇を他者に求め始めた結果だ。

30代 乗客どうしが互いに恐れ合っている。

年金 そのストレスから免れるために、私は電車に乗るときや雑踏を歩くときは「みんなの心が穏やかになる」という言葉を頭の中で唱えるようにしている。これは恐れをかなり消してくれる。その緊張が解けると、こちらも周りをゆとりをもって見ることができるようになり、ぶつかられたり、押されたりしないための動作ができるようになる。

 実際にぶつかられたり、押されたりしたときも「みんなの心が穏やかになる」を頭の中で繰り返すと、少なくともその間は仕返しに押し返してやろうかといった気持ちを抑えることができる。

30代 ジイさんがその言葉を思いついたのか。

年金 メンタルヘルスのハウツー本(大嶋信頼『小さなことで感情をゆさぶられるあなたへ』)にあった言葉だ。緊張を感じたとき唱えると、自分だけでなく、周りもイライラしたり怒ったりしなくなるから、と著者は薦めていた。

 言葉は対象を指し示すだけでなく、それを発する側、受け取る側の心の位置と向きを決める。たとえ頭の中だけであっても、「みんなの心が穏やかになる」と唱えれば、それに相応する心の位置と向きが定まる。つまり心は穏やかさに向かう。しかも「穏やかになる」のは自分だけでなく、「みんな」が想定されている。そうした心の構えが表情や動作などを通して周りに伝わり、その心を穏やかにすることはあり得ると思う。

 この言葉は日本国憲法・前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」に似ている。それは「諸国民の公正と信義」が存在しているから「信頼」するのではなく、それを生み出すために「信頼」する覚悟をしたという宣言だ。それが戦後世界の「見えない抑止力」となった。

30代 ロシアがウクライナ侵略をやめず、中国が軍拡を続け、それに対抗する西側諸国が軍事費を膨らませる現在の世界に向けて「みんなの心が穏やかになる」に匹敵するような外交の言葉を日本国は発することができないだろうか

年金 すぐに思い出すのは吉本隆明の「日本人が保持し、世界に向けて呼びかけるべきは、やはり九条の『平和主義』なのではないでしょうか」という発言だ(『文藝春秋』2011年4月号)。彼はその前段でこう語っている。

「『平和主義』の理念を根本に据えれば、日本に何かと軍事的な協力を求めてくる米国に対しても、武力を背景に圧力を加えてくる中国に対しても、モノが言えるはずです。『私たちは国際紛争に武力を持ち出さないと憲法で宣言しているのだから、あなたの国もそうして、私たちと平和的な同盟を結びましょう』と呼びかければいいのです」

 ロシアも中国も西側も互いに「向こうが戦争を仕掛け、向こうが軍拡をしているのだから、戦わざるを得ないし、軍備も増やさなければならない」と主張しているいま、「平和同盟」など相手にされないように見える。しかし、ウクライナの戦争のエスカレートや、中国と西側諸国との軍事的な衝突の危険をはらむ現在の世界の緊張状態を緩めようとするなら、それは力の増強によっては不可能だ。それどころか緊張をいっそう高める。残る手段は言葉しかない。言葉は緊張を強めることもできるが、緩めることもできる。

 口で言っても聞く耳を持たない国がある以上、どうしても武力の備えが必要になるというのが安全保障や国際政治の専門家の決まり文句だ。確かに言葉は万能ではない。それは武力も同じだ。違うのは武力は緊張を緩めることができないことだ。言葉はそれができる。