空き家 13 生家⑤
12年間に3度も葬式を出し、隣保の人たちには随分お世話になった。だから、隣保で誰かが亡くなると、手伝いに行かねばならないと思っていた。ただ、子どもが小さくて手がかかる上、仕事もなかなか休めないので、父の実家の主である伯父の連れ合いが代わりに出てくれていた。その伯母から、「私も年でねえ」と言われ、私が出るようになったのは、子どもたちが大分大きくなってからのことだ。
はじめの頃は、隣保所有の膳、椀などを使い、煮炊きや盛り付け、配膳なども昔通りにやっていた。手伝いに出る女性たちは、少しずつ代替わりをしていき、ずっとみそ汁の味見をしていたお婆さんに替わってお嫁さんが出られるようになってからは、なぜか味見は私の係になっていた。膳や椀を使わなくなったのは、仕出し弁当に替わってからだ。それでも、漬物や蒲鉾を切って盛り付けたり、みそ汁を作ったりしていたが、家ではなく、新しくできた会館で行うようになると、葬儀屋がほとんどのことをやるようになった。女性たちは、ちょっとした買い出し、蒲鉾や漬物を切るくらいで、おしゃべりしている時間が増えていった。その間に、空き家も少しずつ出てきている。
年度替わりには、自治会長宅にあいさつに行き、一年分の香典代や区費の支払いをお願いするのだが、数年前、「智恵美さん、もう葬式の手伝い、いいけんね」と言われた。若い世代に替わってからは、私より一つ年下の彼女が年長者もまとめて葬儀の裏方を仕切っている。「出ても、することないけん。私が皆に言っちょくけん、参列だけするだわ」と言ってくださった。以来、葬儀に出るだけにさせてもらっている。
この春、ふと隣保を数えてみると、五軒、半分だ。自治会長宅にあいさつに行くと、「毎年あいさつに来られるの、智恵美さんだけだよ。もういいわね」と言われる。隣保は少なくなり、葬儀だけでなく、近所づきあいも変わってきている。いつまで生家の付き合いを続けるか、思案しているところだ。