ニュース日記 883 プーチンが恐れるもの

 

30代フリーター ロシアの民間軍事会社ワグネルの創設者プリゴジンの「反乱」を「プーチン体制の終わりの始まりを意味するのではないか」と見る専門家がいる(名越健郎、拓殖大特任教授=ロシア政治史、6月26日朝日新聞朝刊)。

年金生活者 「反乱」は、ロシアがいまなお前近代的な「帝国」であること、そのゆえの統治上の弱点を抱えていることをあらわにした。

 「帝国」の特徴は域内に政治権力を持つ大小様々な勢力を抱えていることにある。平等な国民からなる近代の国民国家と大きく違うところだ。それらの諸勢力は「皇帝」に忠誠を誓う代わりに、特定の地域や分野での権限を配分される。柄谷行人の交換様式論を借りていえば、両者のあいだには交換様式B=服従と保護(略取と再分配)が成立している。

 ワグネルはそうした諸勢力のひとつであり、「皇帝」プーチンに忠誠を誓う見返りとして、軍事力を保持、行使する権限を与えられた。そうした両者の「交換」関係に不均衡が生まれ、不満を募らせたプリゴジンが「反乱」を起こしたと推定される。

30代 モスクワへ進軍を開始し、ロシア南部の国軍の施設を占拠したワグネルについて「2・26事件をほうふつとさせる」と指摘した専門家がいる(笹川平和財団主任研究員・畔蒜泰助、6月25日朝日新聞朝刊)。

年金 決起した青年将校らを大日本「帝国」内の諸勢力のひとつと考えれば、その指摘は納得できる。彼らは「帝国」の「皇帝」である天皇とのあいだでBの「交換」関係を結んでいたとみなすことができる。

 2・26事件が鎮圧されたあと、国家総動員法が成立し、戦時体制が強化された経緯を振り返ると、大日本「帝国」はこの事件を契機に、「皇帝」と諸勢力との「交換」関係を軸とした統治のシステムから、国民を直接かつ一律に支配する統治に切り替え始めたように見える。その意味では国民を平等な存在として扱う国民国家にわずかながら近づいたと言うこともできる。20世紀の戦争を特徴づけた「総力戦」にはそのほうが有利だからだ。

 2・26事件の青年将校らが「逆賊」の烙印を押された末に投降したように、プリゴジンもまたプーチンから「裏切り」「反逆」と指弾され、矛をおさめた。そのあと演説したプーチンはワグネルの戦闘員に「国防省などと契約し、ロシアの兵役を続ける機会がある」と呼びかけた。彼はこと軍事に関する限り、域内の諸勢力に頼る「帝国」的な統治をやめて、国民を直接かつ一律に動員する「国民国家」的な統治に切り替えたがっているように見える。

30代 ベラルーシ大統領のルカシェンコの仲介で、ワグネルの「投降」とプリゴジンのベラルーシへの「追放」が決まった。

年金 その経緯に「帝国」のもうひとつの特徴があらわれている。「帝国」は域内に諸勢力を抱えるだけでなく、域外に服属国あるいはそれに準ずる国を持ち、それら諸勢力、諸国家との「交換」関係によって統治のシステムを形成している。国民国家なら今度のような事件は国内だけで処理しようとするはずだ。ロシアは「帝国」なので、その服属国のベラルーシを公然と使った。

30代 「反乱」を「裏切り」と非難したプーチンの演説の中には、1917年のロシア革命も「同じ裏切り」だったとして、その再現の警戒を呼びかけるくだりがあった。

年金 1世紀前のその「裏切り」をロシアは「第1次世界大戦のさなかに受け」「勝利は奪われ」「軍の破壊、国家の崩壊、甚大な領土の喪失をもたらした」「その結果が、内戦という悲劇だ」とプーチンは訴えた。

 10月革命で成立したソビエト政府は交戦国のドイツなどと講和条約を結んだ。敗戦国となったロシアはそれまで領有していたフィンランドやポーランド、ウクライナなどの地域を失った。やがて反革命軍と赤軍の内戦が始まる。プーチンはそれらをすべて「裏切り」の結果とし、「われわれはこのようなことが再び起きることを許さない」と強調した。

30代 その決めつけは、これまでのプーチンの姿勢と矛盾しているんじゃないか。彼は第2次大戦でナチスドイツを破った戦勝記念日の5月9日を祝うことにずっと力を入れてきた。その戦争を指導したのはレーニンの後継者スターリンだ。その政権による戦争の勝利を祝うことは、さかのぼって「裏切り」を祝うことにつながる。

年金 その「矛盾」に気づかなかったのか、あるいはそれを承知で演説したのか、どちらにしても、この「なりふりかまわなさ」はプーチンがプリゴジンの「反乱」をロシア革命並みに「過大評価」していたことを物語っている。言い換えれば、プリゴジンの「裏切り」だけにとどまらない政権の危機が生じ始めていると判断していたことをうかがわせる。

 ロシア南部の都市ロストフナドヌーの住民たちが、街に入って来たワグネルの戦闘員たちに拍手を送る姿を見て、プーチンは民衆の反乱が戦争を止めたロシア革命のときのように、今の戦争を続けられなくなり、100年前と同様に再びウクライナを失うかもしれないと脅えたに違いない。そうなれば自分の命も危ない、と。