ニュース日記 882 向こうから来るもの
30代フリーター 柄谷行人は『力と交換様式』を次のように結んでいる。
「そこで私は、最後に、一言いっておきたい。今後に、戦争と恐慌、つまり、BとCが必然的にもたらす危機が幾度も生じるだろう。しかし、それゆえにこそ、“Aの高次元での回復”としてのDが必ず到来する、と」
年金生活者 戦争と恐慌が交換様式Dの到来を必然化すると言っている。Dとは理想社会の土台として想定された交換様式だ。柄谷は交換様式をA=互酬(贈与と返礼)、B=服従と保護(略取と再分配)、C=商品交換(貨幣と商品)、D=Aの高次元での回復の4類型に分け、これまでの歴史はA、B、Cの順に支配的な交換様式が移り変わってきたと考える。そして、まだ支配的な交換様式になったことのないDは未来において支配的となると予言する。
その根拠としてあげたのが戦争と恐慌だ。つまり、いちばん起きてほしくない悲劇こそが理想の状態を招き寄せると言っている。この考えを延長すれば、悲劇が過酷であればあるほど、Dの到来の可能性が高まるということになる。
30代 それならDは到来しないほうがいいじゃないか。
年金 世界の戦争の「本流」は第2次世界大戦を最後に、破壊力を競い合う流血の戦争から抑止力を競う無血の戦争に移った。東西冷戦はその最初の大規模な戦争だった。ロシアとウクライナの流血の戦争はそうした「本流」の変化の反証のように見えるかもしれない。しかし、この戦争に「参戦」した西側諸国は依然として無血の戦争を続けている。それはいま以上の悲劇の過酷化にブレーキをかけていると考えることができる。
柄谷がDを必然化するもうひとつの根拠としてあげる恐慌は、過酷化どころか、起きること自体が可能性の薄いものになっている。資本主義の高度化が富の稀少性の縮減を加速し、先進諸国や新興国で国民の大多数が飢えや寒さにさらされる事態を心配しなければならないような歴史段階はすでに過ぎたからだ。
柄谷は『力と交換様式』でレーニンを批判しながら、それを忘れたかのように、第1次世界大戦を背景に起きたロシア革命を理想社会の到来の経路のモデルにしているように見える。
30代 そうだとすれば、Dは到来しないということになる。
年金 到来するかしないかはわからない。ただ、もし到来するとすれば、戦争と恐慌ではなく、平和と豊かさの拡大が必須の条件となることは確かだろう。
DがAの高次元での回復だとすれば、Aを支配的な交換様式にすることを可能にしていた生産力、すなわち狩猟採集による生産力もまた高次元で回復されなければならない。狩猟採集は自然に大きく手を加えなくても自然の恵みが得られるところに特徴がある。それは富の稀少性をゼロに近い状態に保ち得る生産力を意味する。その高次元での回復を可能にするのは資本主義のさらなる高度化以外に考えられない。
戦争も恐慌もそれを妨げる。社会がDに近づくには、平和ボケ、繁栄ボケが世界中に蔓延するほど富の稀少性が縮減することが必要だ。
30代 柄谷は交換様式Dは「向こうから来る」とも言っている。「Dは、Aとは違って、人が願望し、あるいは企画することによって実現されるようなものではない」と(『力と交換様式』)
年金 もしDが来るとしたら「向こうから」でしかないことは確かだろう。浄土は「願望」や「企画」といった「自力」によってではなく、阿弥陀如来の「他力」によってのみ到達できるように。
ただし、それはDの到来が確実であることを意味しない。Dは理想社会の土台をなす交換様式として想定されているが、理想は目指されるべきもの、実現を願望されるものではあっても、必ず実現すると証明されたものではない。柄谷が「必ず到来する」と言っているのはだから、予言に過ぎない。
かといって、Dは到来しないと証明することもできない。だから、どうしてもその経路や姿を考えることを私たちは強いられる。
未来を予測することによる利得は、それが現実になったとき、あわてないで済むことだ。たとえば、資本主義は終わらせようと意図して終わらせることができるものではなく、それが終わるときがあるとすれば、いわばおのずと終わる。そのとき私たちは未知を目の当たりにし、未経験を経験するだろう。そのとき、うろたえたり、たじろいだりしないで対処するには、資本主義の向こう、その彼岸を考えておく必要がある。
30代 アメリカに「アーミッシュ」というキリスト教徒の共同体があって、彼らは電気もクルマも使わず、馬車に乗る。柄谷はそれがDのモデルになり得るようなこと示唆している(『柄谷行人『力と交換様式』を読む』)
年金 そんな生活を社会の多数が受け入れることはあり得ない。柄谷自身「世界中に『クルマも電気もダメ』と強制したら、それはむしろ恐ろしい国家になります」と言っている(同)。交換様式Dが到来するとすれば、欲望を人為的に抑える「アーミッシュ」とは逆に、際限のない人間の欲望を常に上回る富の供給を可能にする生産力の飛躍的な発展が必須の条件となる。