空き家 10 生家②

 

 家の中だけではない。庭もどんどん変わってきている。その中でも厄介なのが木だ。

 祖母が生きていた頃の庭は、現存する柿に加え、杏が幾本かあり、果樹園のようだった。幼い頃の記憶には、築地松に覆われているうえ、木々がうっそうと茂る薄暗い庭が映っている。それが、父が出雲に帰って事業を始めると、木が切られ、庭の大半を工場が占めた。

 そのうち工場はほかの場所に建ったため使われなくなり、事務所は私の部屋に、がらんどうになった作業場の広い空間は地元の事業所の資材置き場として使われるようになった。

 祖母が亡くなって間もなく私は進学のために家を出、卒業して帰ると、家は改装されていた。就職した年に父が亡くなり、母は家政婦として病院を転々とし、この家に人が住まなくなる。それでも、母が存命中は、盆正月は休みを取って家に帰り、大掃除をし、家で過ごしていた。娘が生まれてからも、時々里帰りし、この家に泊まることもあった。

 そんな中、庭を囲む築地松が松くい虫にやられた。当時はまだ「松刈りさん」という築地松を剪定する仕事をする専門職がおられ、頼んでみんな切ってもらった。

「お宅の工場のトタン、放っちょくと、飛んでしまうよ」と近所のお年寄りに言われ、工場を壊したのは、母が亡くなってからだ。物の置き場が無くなったのでプレハブを建て、道路側には常緑樹のヒバを植えた。西側に残ったスペースには、大根や豆など野菜を少しずつ育てた時期もあったが、娘が中学生の頃、無花果を2本植えた。生き残った1本からは、3年前までジャムにするほど毎年甘い実がたくさん採れた。虫が巣食って朽ちた無花果に代り、退職した年に植えたキウイがこのところ毎年実をつけてくれている。

 庭の真ん中にでえんと聳え、屋根の遥か上まで伸びていた杉が、屋根にもたれかかるように傾いだのは、平成3年9月、台風19号に襲われた際。放っておくと、家がつぶされそうなので、業者に頼んで根元から切ってもらった。

 そして今、プレハブも無くなった庭に、いつの間に成長したのか、太い幹で、空に向かって無数に枝を広げる木が、杉に代わって聳えている。