ニュース日記 879 母よ、父よ

 

30代フリーター 長野県中野市で女性2人と警察官2人がナイフや銃で殺害された事件で、31歳の容疑者の男は自宅に立てこもった際、説得の電話をかけてきた両親に「ある女性が自分をののしっていると思い、刃物で刺し殺した」「駆けつけた警察官に撃たれると思ったので、撃たれる前に猟銃を放った」と話していたことがわかった、と報じられている(5月28日朝日新聞朝刊)。

年金生活者 「妄想」ではないかと思わせるような彼の話に、私の精神分析的な「妄想」をかぶせて言えば、「ある女性」は子をとがめる母を、「駆けつけた警察官」は母に甘えるのを禁じる父を象徴しているように思える。

30代 そっちへ飛ぶのか。

年金 フロイトによれば、3~6歳の男児は母と性的に交わることを望み、それを阻む父に殺意を抱く。しかし、「そんなことをすればペニスを切り落とす」と父に脅され、やがてあきらめる。そして、自分も父と同じような大人になって、母に代わる女性との出会いを待とうと思うようになる。この神話的な過程をフロイトはエディプスコンプレックスと名づけ、自説の中心に置いた。

 容疑者の言葉に隠された無意識を彼の説にしたがって推定すると「母に近親相姦に応じるように頼んだが、ダメだと叱られたので、ペニスの代わりにナイフで刺した」「そこへ父がやってきて、そのペニスを切り落とそうとしたので、より強力なペニスである銃で対抗した」ということになる。彼はエディプスコンプレックスの着地点、すなわち父を殺して母と交わることをあきらめ、父と同じ大人になる決意をする段階に到達できないまま成人し、父殺しと母子相姦の願望を犯罪によって満たそうとしたと考えることができる。

 以上は素人の「妄想」として一笑に付されるだろうが、容疑者は鑑定留置され、話が「妄想」かどうかも含めて分析され、責任能力の有無が判定されるだろう。

30代 ジイさんのほうの「妄想」はどこから出てきたんだ。

年金 以前に怒りや恐れや憎しみを抱いたことのあるふたりの人物のことをふいに思い出し、そのふたりが自分の母と父の像と重なって感じられたのがきっかけだ。

 私は幼いころ母にとても甘えていた。母はそれにこたえて甘やかしてくれたが、ときに私の粗相をとがめることがあった。私はそのたびに泣いた。一方、父は厳格で、私が母に甘えているのをとらえて怒ることがあった。

 1年ほど前、私が理事長を務めていたマンション管理組合の理事会の席で、私は事実に反することを口にしたことがある。知ったかぶりをして、確かめないまま推測でものを言った。すると、理事のひとりの女性がすかさず、片手を左右に大きく振って「違う、違う」の動作をした。私にはそれが予想外の衝撃だった。とてもクレバーな女性で、自分の及びがたい相手から「ダメダメ」と叱責を受けているような気がした。

 会議のあと、私はその女性に「間違いを正していただいてありがとうございました」とお礼を言ったが、内心は喉にトゲが刺ささったまま抜けないような気分だった。いま振り返ると、及びがたい相手であることが、幼い自分にとっての母を連想させ、その母にとがめられたような気分になっていたのだと思う。会議後の「お礼」は幼い日の「母ちゃん、ごめん」の形を変えた反復だったのかもしれない。

 このときの経験はこの2月に理事長を退任してからは、あまり思い出さなくなった。それが先日いきなり痛みとともによみがえった。私の退いた今の理事会の議事録がエレベーターホールに掲示されているのを見たのがきっかけだった。トラウマはそれを負ってから時間がたったあと、何かの出来事に刺激されて症状化し、痛み出すという精神分析の知見そのままの経過をたどっているように思えた。

30代 で、もうひとりの人物は?

年金 2カ月余り前、新しいテレビを買い、自宅に配達してもらった。職人肌のいくぶんかマッチョな圧を感じさせる中年の男性が、若い男子を助手に機器の設定を始めた。電源のコードがテレビの設置場所からコンセントまで届かず、彼はひと言「短いな」と言った。私はそれを聞いてとっさに、家にあったテーブルタップを渡した。

 あとで振り返ると、そのときの私は、腕っぷしも気も強そうな彼のひと言を自分への命令のように受け取ったのだと思う。思い出すたびに、自分は力のある者のご機嫌を取ろうとしたと情けなくなり、痛みを抑えられなかった。

 その痛みから逃れようと、なぜそうしたのか理由を考えた。厳格で怖かった父と幼くて無力だった自分との関係を、人生の終盤になっても反復しているのだと思い至り、いくぶんか楽になった。この関係は自分ではどうすることもできなかったことであり、私が責任を負えることではないからだと思う。

 もともとその男性との関係はテレビの配達を依頼した側と依頼された側の関係であり、力の強さをくらべなければならない関係ではなかったはずだ。それを反射的といっていいほどすぐさま力関係としてとらえてしまったのは、幼児期の父との関係なしには考えられない。