ニュース日記 877 「帝国」の権力

 

30代フリーター ゼレンスキーが、ロシアとの戦争は数年あるいは数十年続く可能性があると語ったそうだ(4月30日共同通信)。

年金生活者 いま考えられる最も高い可能性を語っているように思える。ゼレンスキーもプーチンもこの戦争にそれぞれの国家の存立がかかっていると考えて引くに引けずに膠着状態に陥っている。

 崩壊したソ連から独立したウクライナは、これまで西側に傾いたり、ロシアのほうへ引き戻されたりしながら、基本的な流れとしては西欧的な国民国家の形成に向かってきた。ロシアの仕掛けた侵略戦争は、ウクライナ国民を結束させ、その流れを一気に加速したと言える。

 他方、プーチンはロシアを近代的な国民国家としてではなく、前近代の「帝国」として復興させることに力を注いできた。「帝国」は周辺に服属国やそれに準ずる国家をしがたえ、それをつっかえ棒にすることによって、統治のピラミッドを形成する。プーチンにとって、ウクライナはそんなつっかえ棒のとりわけ重要な1本だ。それが西側に寄り、NATOに加盟するのは、「帝国」の統治のピラミッドを破損させ、自らの独裁権力を脅かす事態ということになる。

30代 国民国家と「帝国」の戦争でもあるわけだ。

年金 国民国家の前提である国民の等質性は、異質性の排除によって成り立つ。排除するには国家の内部と外部を厳密に分けなければならず、そのためには厳密な国境が不可欠だ。それを崩す領土の侵犯は国家の存立を脅かすとみなされる。国民国家たらんとしているウクライナにとって、ロシアの全面撤退は最低限の要求となる。

 これに対し、「帝国」には厳密な国境はない。本国と服属国、準服属国がグラデーションをなして序列を形成している。だから、プーチンは平気でウクライナをロシアと一体のように扱う。

30代 この戦争の犠牲者数は、ロシア側がウクライナ側の数倍とする報道が西側のマスメディアからなされている。

年金 そのとおりだとすれば、人命を第1には考えないロシアの権力の前近代的な性格をそこに見ることができる。

 ウクライナが西側諸国から高性能の武器の提供を受けて戦っているのに対し、ロシアはそれより性能の劣る武器で戦わざるを得ず、死傷者を増やしている、と一般には見られている。だとしたら、それでもロシアが戦争を続けられるのは、人間を武器の代わりにすることによって、本来の武器の性能の低さを補っているからだと推定することができる。

 フーコーなら、西側諸国の権力が人を生かして管理する近代特有の「生権力」であるのに対し、ロシアの権力は逆らう者を殺す前近代の権力と言うかもしれない。政府に逆らう人物が暗殺されるのがロシアの現状だ。

 ロシアでそうした権力が維持されているのは、この国が前近代的な「帝国」であり続けているからだ。この「帝国」は近代化によって滅びることはなく、逆に強化された。帝政ロシアのあとに出現したソ連、そしてソ連崩壊後のロシアは、いずれも近代の科学技術や市場経済を採り入れることによって強大化した。

 今ふたたび世界史を左右するまでになった中国の姿に、私たちはそうした「帝国」のしたたかさ、恐ろしさを見ている。

30代 小原凡司という元海上自衛官の軍事ジャーナリストが「中国社会は死者が出ることに敏感である。人民解放軍に死者が出れば、中国社会は強く反発するだろう」と指摘している(「人民解放軍の弱点とは」、『文藝春秋』2023年2月号)。

年金 「敏感」の理由として思い当たるのは民主化運動を武力弾圧した天安門事件のトラウマと、急速な市場経済化を進展させたグローバリゼーションにともなう権力の近代化だ。

30代 小原は中国社会が死者に敏感という前提に立って「中国が現段階で台湾に武力侵攻する可能性は低い」と予測している。無人機の運用技術も未完成の人民解放軍が台湾に侵攻すれば、多大の犠牲が避けられず、それに「中国社会は強く反発するだろう」と指摘する。

年金 その見方に対しては、いざとなればそんな「反発」を容赦なく抑えつけるのが共産党独裁政権ではないかという疑問がわく。中国は前近代的な「帝国」であり、フーコーによれば、近代以前の権力は逆らう者を殺す権力のはずだからだ。そうでなく、犠牲者の出ることを恐れているとすれば、それはフーコーのいう生権力、人間を生かして管理する権力ということになる。

 おそらく中国は「帝国」として前近代的な権力を保持しつつ、部分的に生権力を併せ持つようになったのではないか。中国の強大化は資本主義の急速な発展によるもので、その発展は「改革開放」の名のもとに進められた外資導入をはじめとしたグローバル化の進展に支えられている。その過程で米欧諸国の生権力を模倣せざるを得なくなったと考えられる。

 そしてもうひとつ考えられるのが、天安門事件で西側諸国から受けた激しい非難と厳しい制裁によって「改革開放」にブレーキをかけられ、それがトラウマとなって流血に「敏感」になったことだ。これは経済大国化と並んでロシアにはない経験だ。