ニュース日記 875 少子高齢化は止められない

 

30代フリーター 朝日新聞の世論調査では、岸田政権の「異次元の少子化対策」に「期待できない」は61%で、「期待できる」33%の倍近くにのぼっている(4月10日朝刊)。

年金生活者 少子化は自然史的と言っていい流れであり、それを人為的に逆流させることができる「対策」などないことを、国民の多くが察知している。

 「団塊の世代」を誕生させた「多子化」社会が敗戦直後に出現したのは、復員した若い男性の婚姻が急増したことによるとされている。それが次々と子をなした背景には社会全体の貧困があった。栄養も衛生も今ほど十分でなかった当時は子供の死亡率が高く、それが子だくさんを促した。

当時よりはるかに豊かになった今の社会は子供の死亡率を下げ、子だくさんを目指すインセンティブが失われた。豊かさゆえに教育に費用がかかるようになり、多産を抑えるインセンティブが取って代わった。

30代 同じ豊かさが高齢化も促した。成田悠輔という経済学者が、少子高齢化問題を片づけるために「高齢者は集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」と発言し、批判を浴びた。

年金 経済合理性を理由に生命の末梢を正当化する主張が多数に受け入れられるはずはない。経済合理性だけから見ても、彼の主張は妥当性を欠いている。

 仮にそれが実行されて、日本から一定年齢以上の高齢者がいなくなったらどうなるか。介護をはじめとしたシルバー産業の市場規模は2025年には100兆円を超えるという予測がある。「集団自決」で高齢者が激減すれば、この産業は大打撃を受け、大勢の現役世代が職を失うだろう。

30代 「集団自決、集団切腹」は「集団引退」の比喩とも受け取れる。

年金 少子高齢化がもたらす最大の問題は社会保障制度の破綻とされ、現役世代の負担で支えられている高齢者の年金はこのままでは維持できなくなると予測されている。高齢者が「集団引退」すれば、まったく稼がなくなるわけだから、現役の負担はいっそう増える。やはり高齢者に「集団自決」してもらって数を減らすしかないという結論に理屈上はなる。

成田の主張はもともと不可能なことを求めるもので、当人もそれを承知で語ったのではないか。少子高齢化を止めることなんてできない相談だよ、と。

30代 止められない理由はなんだ。

年金 少子高齢化は、フーコーのいう生権力、人を殺すのではなく生かす権力がもたらした帰結として理解することができる。

 近代以前の権力が、逆らう者を殺したのに対し、近代に特有の生権力は人間を生かして管理しようとする。そのために、ふた通りの方法をとる。ひとつは個人を対象に監視や訓練によって従順な人間をつくりあげることであり、軍隊や学校、工場がその舞台となる。もうひとつは集合としての人間を対象とし、人口や寿命、健康を管理する方法で、舞台は社会全体だ。

 前者の方法は、個人を規律ある働き手にすることによって、その生活を豊かで規則正しいものにし、後者は公衆衛生の諸施策や医療システムの整備を通して人命の保護をはかった。その結果、寿命は延伸し、健康は増進した。高齢者が増える一方で、乳幼児の死亡率が下がり、それが多産を抑制する方向に働いた。少子高齢化は必然の結果だった。

30代 先進国では働き手が足りなくなり、移民に頼らざるを得なくなっている。

年金 生権力はそれに対応した新たな監視や訓練をするようになっているはずだ。まず移民を自国に順応させなければならない。それだけでは摩擦が大きくなるだけだから、自国民を移民に慣れさせなければならない。両者ともスキルの向上とか人権意識の高揚といった目標を設定することによってなされているだろう。

 それらは監視なしには不可能だ。監視から逃れる個人は排除も辞さない。日本ではそのための法的な基盤をつくるために、難民認定の申請中の送還を可能にすることなどを盛り込んだ入管法改正がもくろまれている。

30代 日本の総人口は2070年に8700万人にまで減少するという厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所の推計が出た(4月27日朝日新聞朝刊)。

年金 働き手が減り、資本主義を資本主義たらしめる利潤の主要な源泉が、大勢の労働者から、ひと握りの天才に移る可能性がある。

 働き手が減ったぶんはAIやロボットが埋め合わせる。労働者が賃金以上の働きをすることによって得られていた利潤は大幅に減る。利潤の源泉はイノベーションに求めざるを得なくなる。

 そうなると、これまでのレベルを超えるイノベーションが必要となり、それを実現し得るまれな天才が歓迎されるようになる。吉本隆明は前世紀の終わりに、そんな社会の到来を予言するようなことを語っていた。「とにかくいまの大きな問題は《天才領域》だと思っているってことなんです」「『このやろうは天才じゃないか』という天才が出てくる領域があるんですよ」(「悪人正機頁。」、『プレイボーイ』2000年1月1・11日号)

 その「領域」は人間の文化全般におよぶだろう。大谷翔平や藤井聡太の出現はそれを予感させる。