がらがら橋日記 団地にて

 

 高台にある某団地の一軒から依頼があり、草取りに出かけた。その団地に行くにはかなりの急勾配を上らねばならない。車で行くべきか少し迷ったが、試したい気もして自転車で行った。どうにか上ることができたが息が切れた。

 迎えてくれたのは腰のすっと伸びたダンディーな老人で、聞くと齢90才ということだった。団地の役員を数十年にわたって務めているというので感心したのだが、「あとを引き継いでくれる人がいないのです」とまじめな表情で付け加えた。

 この団地は、ぼくが通った小学校校区にあるので、造成されたころの記憶がある。ここから通う同級生もかなりの数いて、よく遊びに行った。当時は車も少なかったので、団地の坂道はジグサグで上った。子どもにとってはそんなものは苦でも何でもない。友達とゲラゲラ笑いながら上っていた。

「昭和40年代、ここができたころは、サラリーマンがローンを組んで自分の家が持てるようになった走りでした。だからその頃30代から40代の人たちがどっとここに家を求めたのです。」

 老人は、道路を挟んだ向かいにある空き家とおぼしき2軒を指し示すと、

「あれはね、ちょうどその頃にできた家です。玄関ドアの色を変えただけの18坪の同じ家が建ち並んでいました。」

 何度も通った団地の初めて聞く歴史だった。

「でも、夢のような暮らしだったんですよね。」

「ええ、そうです。それまでたいてい間借りですからね。大家さん家族と襖一枚はさんで新婚生活なんてざらだったんですから、小さな家でも自分の家はうれしかったですよ。」

 それから解けぬ雪のような50年が降り積もる。空き家、独居、老人世帯が大半となり、新しく流入してくる住民があっても独居老人が多いのだという。

 庭はよく手が加わっており、草取りもさほど労力はいらなかった。老人は、ぼくのそばに立つと、

「庭なんか造らなきゃよかったと思います。」

とやっぱりまじめな顔で言った。この一年、いったい何度これと同じ言葉を耳にしたことか。

 時代の夢に同調しているとき、未来など見えはしない。今ぼくが思い描いていることも数十年経てば、令和の夢として骸を晒すのだろう。くらませているものの正体をどうしたら見破れるのだろうか。

 草取りを終えた帰り道、息切れした急坂を一気に下っていると、両手を突き出すようにして自転車を押す老女とすれ違った。