がらがら橋日記 二転び三起き

 

 木次乳業の創業者佐藤忠吉翁の蔵書整理を手伝っている。力仕事なら少しは役立てるかもと始めたのだが、どう処分するかではなく、どう活かすかを考えるのはなかなか難しい。先日、忠吉翁を師と仰ぐ作家の森まゆみさんが知恵を貸してくれることになり訪ねてこられた。

 ぼくは認めたくないのだが、妻に言わせるとそれで浮き足だっていたために、森さんを迎える直前に用を済ましておくべしと小走りで屋外トイレに向かったところで躓いて、したたかにおでこをコンクリートの床に打ち付けた。すぐには何が起きたのかわからなかったが、鞄を肩にかけていたために両手を着くことができなかったこと、勢いの付いた体を片手で押し返すことができず、そのまま潰れるように額を床にぶつけたのだということは瞬時に理解した。

 トイレに入って鏡を見ると、床で擦ったらしく額の真ん中が親指大に皮一枚すりむいており、その周辺にさっと刷毛でなでたような傷が付いていた。見ているうちにじわっと盛り上がってきた。どうすることもできずそのまま書棚の並ぶ集合場所に行くと、蔵書整理の呼びかけ人であるK子さんがびっくりして、病院に行かなきゃ、絆創膏もらってくる、などあわてた様子で心配してくれた。そのやりとりの最中に森まゆみさんが来られ、あいさつもそこそこに、

「私の鞄の中に確か薬があったと思うけど。」

といっしょに心配してもらう羽目になった。ぼくはと言えば、おでこの真ん中がヒリヒリするだけで、他に目立って痛いところはなかった。とんだドタバタの中で森さんを迎えてしまった。

 何年か前、ランニング中によく似た転び方をした。その時もアスファルトに向かっていく頭を腕で支えきれずぶつけてしまった。もとから鈍い運動神経反射神経が加齢とともにさらに鈍っているという現実を突きつけられた気がした。このまま衰えるに任せてしまうのも悔しくまた恐ろしく、体幹トレーニングの動機付けの一つにした。続けること一年半、いくらか効果を感じていただけに、再び同じ転び方、同じけがをするとはいかなることか、としばらく動揺した。

 しかし、このごろになって考え方を改めた。トレーニングをしていたからこの程度で済んだ、と思うことにしよう、と。もっとひどいけが、後遺症、落ち込みに襲われる可能性だってあったのだから。そして合わせてもう一つ念じておくことにした。。事故はいつ襲いかかってくるかわからない。それを境にすべてが一変する何かから身を防ぐすべなどどこにもないのだ。この当たり前を軽視すまい、と。