がらがら橋日記 お節介

 

 すでに本通信のウェブ版ではお知らせしているのだが、高尾小学校の落語活動が、昨秋の博報賞に続いてパナソニック教育財団の「子どもたちのこころを育む活動」全国大賞を受賞した。全国から応募された200件近くの活動の中から最高賞に選ばれた。先日、用あって奥出雲町を訪ねたら町の広報が目にとまった。定式幕に丸抜きで高尾小の児童5人が表紙を飾っていた。めくると見開き2ページの特集記事になっていて、町長さんも「人口減少に総力戦で立ち向かう奥出雲町創生だ」と受賞を言祝ぐメッセージを寄せてくださっていた。落語と手厚い複式教育を求めて留学生を呼べやしないかと夢想していたことを思い出す。果たせなかったのだが。

 去年、にこにこ寄席担当のK教諭から二つの賞に応募すると聞いたとき、K教諭の興を殺いではいけないと思い黙っていたのだが、ぼくはパナソニックの成り行きの方が気になっていた。というのも、賞を主催するフォーラムの座長が哲学者の鷲田清一氏で、氏の『「聴く」ことの力ー臨床哲学試論ー』(ちくま学芸文庫)が愛読書だったからだ。植田正治の写真もこの本で知った。氏の朝日新聞一面のコラム「折々のことば」も毎朝真っ先に読む。さらに、座員には島根県縁の経済学者玄田有史氏も名を連ねる。昔読んだ『14才からの仕事道』(イーストプレス)はずいぶん教室で受け売りさせてもらった。両氏がどれだけ関わられるのかわからないが、少なくとも最終審査に残ったレポートには目を通されるだろうから、「高尾小学校にこにこ寄席」を両氏にこそ見てもらいたい。K教諭の苦労をよそにそんなことを思っていた。

 鷲田清一氏が授賞式で語られたスピーチをホームページで読むことができる。氏は、教育は本質的に「お節介」な行為だという。それゆえ押しつけか、手を出さないかの間で揺れる。その塩梅が極めて難しい、と。「その場にいると子どもたちが勝手に育つ「場づくり」が大切なのだと思います。」至言だ。

 落語を始めた頃を思い返すと、どうひいき目に見ても押しつけがましい方のお節介だった。ある活動を始めようと思えば、おそらくそれは避けて通れない。押しつけは必然的に様々な困惑や混乱を作り出すのだけど、止めたくなければ一つ一つ対処していくほかない。そうして一年、また一年と重ねていった。10年経ってみたら、鷲田氏に「子どもたちが勝手に育つ場」の例として取り上げてもらえるものになっていた。お節介をおもしろがる人たちが場を大切に育み続けた結果だ。今にして思うのだが、それは決して簡単ではない。むしろ極めて希有なことなのだ。