ニュース日記 868 1年を経て
30代フリーター ロシアのウクライナ侵攻開始から1年たって印象づけられることのひとつは、巨人を相手に互角に戦い続けるウクライナの強靭さだ。
年金生活者 ロシアという「帝国」の「服属国」としての地位を脱し、「主権国家」「国民国家」として自らを形成していこうとするウクライナ国民の意志をロシアは武力でくじこうとした。それが逆に国家形成の意志を勢いづけ、ロシアに反撃する力のもとになった。
17世紀のウエストファリア条約を境に形成されたヨーロッパの「主権国家」、そしてそれが民主化された「国民国家」は「帝国」への抵抗を通して形成された。当時のヨーロッパの帝国だった神聖ローマ帝国がその標的となった。それと同じように、ウクライナもまたロシア「帝国」への抵抗を通して自らを「主権国家」「国民国家」として形成しつつあった。
それを阻もうと襲いかかったロシアは、逆にそうした国家形成を加速してしまった。他国からの侵略ないし威嚇が、それまであやふやだった国家としての輪郭や骨格を生成していくという先例はこれまでの近代の歴史にも見ることができる。アメリカをはじめとした列強による外圧が引き金となった明治維新もそうだった。南北に分断されていたベトナムが主権を持つ統一国家になったのも、アメリカによる侵略戦争があったからだ。
ウクライナが徹底抗戦を継続できているのは、西側諸国からの武器供与だけによるのではない。国民に抵抗する意志がなければ、武器はガラクタになる。その意志も「家族や身近な人を守りたい」という個人的な意志だけでは、ここまで有効な抵抗を続けることはできなかったはずだ。国家という公的な存在を守りたいという意志なしには、これほど大がかりな抗戦は組織できない。
30代 他方、ロシアのほうも一歩も退かない構えだ。
年金 プーチンが侵攻1年を前にして行った演説を朝日新聞は「大義変遷」「『非ナチ化』から『祖国防衛』へ」との見出しで報じた(2月22日朝刊)。この「変遷」をひと言で表せば、「攻撃」から「防御」への姿勢の転換ということができる。
開戦当初のプーチンはウクライナの「非ナチ化と非軍事化」を掲げた。これはゼレンスキー政権の転覆と軍事的な無力化を目指した点で「攻撃的」ということができる。これに対し、1年後の演説では「欧米の包囲網を第2次大戦のナチスドイツの攻撃になぞらえ、国民に『祖国防衛』を訴えた」(2月22日朝日新聞朝刊)。最初の一撃で倒せるはずだった相手の予想外の抵抗に遭い、「防御的」な姿勢への転換を余儀なくされたということができる。
30代 一歩あとずさりしたようにも見える。
年金 この転換はロシア国民を落胆させるどころか、逆に粘り強さ、耐久力を発揮させる方向へ作用したはずだ。軍事の分野では「攻撃3倍の法則」という言葉があるくらい「攻撃」する側よりも「防御」する側が優位に立つことが多いという説がある。これはむしろフィジカルなレベルよりもメンタルなレベルに当てはまりやすいと考えたほうがいい。
かつての東映ヤクザ映画で、高倉健の演じる主人公がほかのヤクザからさんざん「攻撃」を受け、それに耐えに耐えた末に、圧倒的な力を爆発させるストーリーが繰り返されたのは、「防御」の優位性が広く信じられていることによる。ロシアから「攻撃」を受けたウクライナ国民が「防御」において予想外の力を発揮しているのも同様に考えることができる。今のロシアはそれを模倣し始めている。
またロシアはこの戦争の過程で「主権国家」「国民国家」の側面を広げていったように見える。つまり「帝国」の原理だけでは長期化する戦争を持ちこたえられないと考え始めたと思える。朝日新聞は「学校や大学では、徴兵や動員を視野に入れた軍事訓練や、侵攻を肯定する愛国的な授業の導入が次々と決まっている」と報じる(2月24日朝刊)。「愛国」は「主権国家」「国民国家」に特有のイデオロギーであり、ロシアはその形成を身体(軍事訓練)と言葉(授業)を通してはかろうとしている。それが消耗戦に耐える力を養うのに寄与するだろう。
30代 朝日新聞は西側諸国によるロシアへの制裁が隙だらけになっているさまも報じていた(2月20日朝刊)。欧米が対ロ貿易を減らしても、インドや中国がその一部を埋め合わせているからだ、と。
年金 この記事の中で国際政治学者の鈴木一人は「制裁強化が必要で、鍵は天然ガスのロシアへの依存度を下げること」と指摘している。だが、依存度を下げれば下げたでロシアは裏ルートを拡大するだろう。戦争の長期化は避けられない。それは東西冷戦が世界の構造となった歴史の縮小版を予感させる。
私たちはこれから先、ふたつの構造化した戦争を見続けることになるかもしれない。ひとつはウクライナで流血の続くそれであり、もうひとつは米中の無血の戦争だ。それが世界経済の様態を変え、その変容が戦争を支え続けるという循環構造が形成される。東西冷戦と違うのは経済のグローバル化がその構造を支えるだろうということだ。