がらがら橋日記 推し今昔

 

 3月に入ると早々にMさんからジャガイモを植えるから準備せよ、と連絡が入った。ついでに冬の間さぼっていた草取りや施肥について小言をもらった。いよいよ始動。

「おもしろいもんだね。春になると動きたくなってくるからね。」

 これについては、まったく同意。植物も動物も春を待って動くというより、動かずにはいられなくなるのが春という季節なのかもしれない。

 やはり動きたくなったらしい妻の知人が久しぶりに訪ねてきて、これから上京するのだと言った。羽生結弦のショーを見に行くのだ。羽生結弦のファンは老若男女数多いるのだろうけど、ことに熱烈な「推し」高齢女性がいるというのは何となく知っていた。身近にその人がいたことに少々驚いたが、話を聞くにつけその熱意にはもっと驚かされた。こんなおば様たち数万人に囲まれてその期待にこたえるために骨身を削る羽生結弦はやはり並みの人ではないと思った。

 「推し」を持った経験のないぼくたち夫婦にとっては、どうしたらそこまで好きになれるのか疑問なのだが、一方でそれほどの「推し」を持てたら幸せだろうとも話し合った。どこが好きか、どれだけ好きか、どう尽くしているか、夢中で話している知人の表情は、どう見たって幸せそのものなのだ。

 畑の師匠Mさんは中海沿いに代々続く旧家の人で、日本三大船神事の一つ、ホーランエンヤを担う一人だ。10年に一度の祭りで前回は4年前に行われた。10万人以上の人が3日間つめかけるので、ぼくが見に出かけたときも人波をかいくぐらないといけないほどだった。祭りの呼び物は百隻にも及ぶ絢爛豪華な櫂伝馬船団の航行で、ことに船上で舞う少年、若者の踊りが美しい。若者たちは石川五右衛門風の衣装で勇壮に舞う剣櫂(けんがい)と艶やかな化粧をした女姿の采振り(ざいふり)として、祭りの花形となる。Mさんの息子はその昔采振りとして船上にあった。写真を見せてもらったら驚くほどの美形だった。

「もう大変だったわね。おばばやつが息子を囲んで○○ちゃん、チューさせてーってだれんもかれんも抱きついてきなーけんねえ。」

 ぼくは想像して大笑いしながら、この祭りが300年以上も続いている理由の一端がわかった気がした。昔も今も変わらず「推し」を求める人たちがいて、ホーランエンヤは地元への「推し」供給システムとして機能し、地域の一体感を醸成してきたのにちがいない。その昔推されまくった息子さんは、その後ずっと熱心に剣櫂、采振りを育てているのだそうだ。