がらがら橋日記 今さら韓ドラ
大雪のせいで韓ドラにはまってしまった。妻を始め周りの女性たちが熱心に見はじめるようになって軽く十年以上たつから、その気になればいくらでも見る機会はあったのに、「冬ソナ」も「チャングム」も何一つ見てこなかった。理由は、やたらと長い、美男美女のラブロマンスばかり、という先入観がずっとあったからだ。関心がないとはおそろしいもので、妻が目の前で見ていて、銃声やら甘い旋律やらとともに韓国語がけっこうな音量で流れ続けているのに、これまでまったく気にとめないでいられた。
それがここに来て見てみようかという気になった。仕事はキャンセル、外出もままならぬとなれば、やたらと長いはかえって好都合、ためしに見てみて合わないと思えばやめればいいというだけのことだし、などくどくどと考えた末に、意を決して見ることにした。
何を見たらいいのかさっぱり分からなかったので、ベテランの妻からいくつか候補を聞き、「お父さんならこれがいいんじゃない」と勧められたものを手始めに見てみた。
窓の外で雪が降り続いているのをいいことに、一話また一話と見続け、十六話を三日で見終わってしまった。そして心底驚いた。いや、もう第一話から、なんだこの完成度は、なんでこんな精緻な脚本が、なんで俳優がみんなこんなに演技力があるんだ、と疑問ばかりが次々と湧いてくる。度肝を抜かれてしまったのだ。見終わったときは、ちょっと放心状態になったうえ、夢の中でもいくつかのシーンが再現された。
ぼくは決して日本のテレビドラマの熱心な視聴者ではないのだが、それでも彼我のレベルの違いは分かる。いつの間にこんなに差が開いてしまったのか。欧米のドラマに比べても、構成の大胆さとかサイドストーリーの厚みなど韓ドラが勝っていると思った。
今になって気づいたか、と言われておしまいなのだけど、勤めている間は見る時間もなかったから、遅きに失したとは思わない。妻に言わせると「韓ドラだってしょうもないのがいっぱいあるよ」ということだから、そんなものに手を出さずとも、名作のみ選んでも十分数があるというのがありがたい。
一つのドラマを作るのに、どれだけたくさんの人が関わるのか想像もできないけれど、一人二人の傑出した才能があったところでできるものではないだろう。たくさんの才能や情熱の集積がないとあんなドラマは作れるものじゃない。日本が追いつくには、仮にそう願ったとして、何十年とかかるのではないか。
大雪は一週間で片が付いたが、韓ドラは当分片付きそうにない。